ナナコと。

 ナナコに会ったのは私がまだ小さかった頃。

 海で溺れていた私を、彼女が助けてくれたのが始まりだった。



 目を覚ました私の目に入ったのは、捨て犬でも見るような顔をした女の子だった。

 私はありがとうとお礼を言ったけど、向こうはキョトンとしている。

 そして彼女は私が同い年だと知ると、笑って手を差し出し「友達になろう!」と言った。どうやら彼女の周りは大人ばかりで、私のような同年代の子供がいないらしい。

 助けてもらったのもあるけど、クラスの友達とはどこか違った雰囲気の彼女に、私は心を惹かれていた。

 そうして私はナナコと友達になり、海に来ると決まって彼女と遊んでいた。何度か家に遊びに来ないかと誘ってみたけど、彼女は決して海から出ようとしなかった。

 それならと、私はナナコのお家に行ってみたいと提案する。すると彼女は「ごめんね、それはできないの。ボクにとっては海《ここ》が家みたいなものなんだ」と言った。その時の彼女の表情は今でもよく覚えている。辛そうに誇るあの悲しい瞳が胸に焼きついていた。


 ある時、両親にナナコのことを話そうとして、つい溺れたことまで口にしてしまう。それがまずかった。

 両親はひどく怒り、とても心配そうだった。それがきっかけで、しばらくは海に行かせてもらえなくなった。

 ナナコは何も知らない。明日もその次も、私が海に来るのを待っているかもしれない。そう思っても、私は部屋から海を望むしかできなかった。


 ナナコと合わなくなって数ヶ月。かねてから決まっていた引っ越しが翌日に迫った。

 クラスのみんなとの別れは済んだ。でもただ一人、ナナコには別れを言っていない。それだけが心残りだった。

 私は両親が留守の隙を狙い、ナナコへ会いに行こうと家を飛び出した。

 季節外れの海は淀みくすんだ色をしていた。この海のどこかにナナコがいると信じて、私は浜辺を駆け、岩肌を探した。

 あれから一度も来てない。

 約束もしてない。

 私のことなんて忘れてるかもしれない。

 それでも私は彼女を探した。

 どうしても会いたい。

 たった一言でもいい、言いたいことがあるんだ。


 どれほど時間が経っただろう。ナナコの姿はどこにも見当たらない。青空はすっかり夕焼けに染まり、その茜色さえ消えかかっていた。

 疲れて座り俯くと涙があふれてきた。諦めたくない。私は顔を拭い、どうすればいいか必死に考える。

 そして気がついたんだ。まだ探してない場所があることに。

 私はスニーカーを脱いで立ち上がり、水平線に向かって歩く。

 指先が砂に埋もれ、足先が冷たくなり、だんだんと脚が重たくなっていく。ずぶずぶと沈んでいくように暗闇へと潜り込む。

 やがて完全に暗闇に飲まれて、意識が混濁していく。すると、冷え切った手に触れる暖かい感触があった。それは私の手を握りしめ、光へと引っ張っていった。

 私は足のつくところまで引っ張られて、やっと息をすることができた。ゲホゲホしながら息を整えて、また私を助けてくれた女の子を見すえる。

 彼女は泣いていた。どうして泣いているのか聞くと、私が死んでしまうかと思ったらしい。私は心配させてごめんねと謝るけど、ナナコが助けてくれるから死なないよ、と付け足した。すると彼女は「バカぁー!!」と泣き続けた。

 ナナコが落ち着いてから、ここからいなくなることを話した。久しぶりに会えたのにまたすぐお別れになってしまう。また泣いてしまうかと思ったけど、彼女は微笑んだ。

 不思議がる私にナナコは「大丈夫、きっとまた会いに行くから。待ってて」そう言った。

 その言葉に私は驚いたけど、彼女の笑顔は嘘じゃないと思えた。だから私は待ってると、返事をした。

 そうして私達は別れを告げた。海へと還るナナコの姿を記憶に焼付け、私も自分の居るべき場所へと帰っっていった。



 あれから幾分大人になった私はまたこの街に来た。この街の学校に通うことになり、一人暮らしを始める。いや、ここで暮らしたくてこの街の学校を選んだのが本音だ。

 思い出の場所がある、この海辺の街に住みたかったんだ。

「この砂浜も懐かしいなぁ」

 あの頃と変わらない景色。いつまでも眺めていたいほどに、愛おしい場所だ。

 ひさしぶりの海の香りをいっぱいに吸い込むと、帰ってきたという気持ちがいっそう強まる。

「さてと、それじゃあ探しにいこうかな」

 身体を伸ばし、古い友だちを探しに行こうした時だった。

「誰かお探しですか?」

 不意に聞こえた声に、私は後ろを振り返る。

 そこには女性が立っていた。淡い水色のワンピースがよく似合い、腰ほどまである長い髪が風になびいていた。

 私は笑みが溢れるのを我慢して答えた。

「友達を探してるんですよ。会いに行くって言ってたくせにちっとも来なくて、私から来てやったんです」

「それは困ったお友達ですね」

「えぇ、ほんとうに」

「でもそのお友達も頑張っていたんだと思いますよ。あなたに会いたくて、すごく苦労したんじゃないでしょうか」

「そうかなぁ? じゃあ今まで何してたのか説明してほしいなー」

「んー、海歩《みほ》が溺れない方法を考えてたかな」

「またそんな事言って……」

「もう、怒るか泣くかどっちかにしてよ。ほらこっちおいで!」

 彼女は涙を拭う私を抱き寄せる。

「背伸びたね」

「海歩が縮んだんじゃないの」

「なによー」

「あのね。海歩にね、言いたいことがあるんだ」

「うん?」

「ただいま、海歩」

 改まって言われびっくりしたけど、私も言いたいことがある。

「おかえり、魚々子《ななこ》」



「そういえば魚々子、足あるね」

「あるよ」

「しっぽは?」

「……ないしょ♪」