白い息は冷え冷えと

 自習になった午後の授業をさぼって家に帰ってきてみれば、鍵が開いていた。

「あれ、きょうは母さんパートの日じゃなかったっけ」

 せっかちな母だ。どうせ鍵を閉め忘れたんだろうと気にはせず、玄関扉をあける。

「ただいまー」

 返事はない。そのまま二階にある自分の部屋に行く前にいちおうリビングへよる。もしかしたら俺がパートの日にちを勘違いしてるだけかもしれない。

 リビングに入ると制服のままの妹がソファーに座ってテレビを見ていた。集中しているのか俺が帰ったことに反応はない。

「ただいま」

 聞こえてないことは無いと思うが念のためもういちど言う。すると顔だけこっちに向けたかと思うと、またすぐテレビに向きなおした。おいおい、おかえりの一言ぐらいあってもいいんじゃないか?

「ただいまっ」

 俺は雪那《ゆきな》の正面に立ち三度目のただいまを言った。雪那はようやく俺の存在を認めてくちをひらいた。

「みえない」

 やっと喋ったかと思ったらそれですか。しかたなく、すごすごとその場をどいた。それでもまだ視線を送る俺に嫌気がさしたのか、

「……おかえり」

 ため息まじりではあったが、やっと返事をしてくれた。

 このまま隣に座ってテレビをみることも考えたが、残念ながらそれができるほど仲良しというわけではない。お互い思春期だしな。

「学校は? さぼりか?」

「午前中だけ」

 後ろから声をかけた俺に雪那はテレビを見たまま答えた。

 サボった俺以外にも下校してるやつがいたのはそれでだったか。

「そのバラエティ番組おもしろい?」

「ふつー」

 まぁ楽しくはなさそうだ。普段から感情に乏しい妹だがそれに輪をかけて声に抑揚がない。おもしろくはないんだろう。

 午前授業だったなら妹もまだお昼は食べていないだろうと思い、会話のネタにいつもの手を使う。

「昼飯作るけど、たべるか?」

「……うん」

 会話が続くわけではないんだけどな。

  ◆  ◆  ◆

 翌日。授業をサボることなく家に帰ってきたところ、リビングのテーブルに無造作に置かれたメモ用紙が目に入った。走り書きをみるとこう書いてあった。

『お父さんのところにいってくるわね。帰りはあしたの夜だから、その間ご飯はこれでなんとかしてね♪ 母』

 そしてメモにクリップで留められていた二枚の紙幣を手に取る。

「これでって、マジですか……」

 母の唐突な家出はたまにある。それは驚くことじゃない。しかし託された財産が二枚の千円札というのにはさすがに衝撃を受けた。

 買い食いはできないなと思い、冷蔵庫の中身をみながら夕飯を考える。そうしていると雪那がやってきた。

「なんだ帰ってたのか」

 部屋着姿ということは先に帰っていたみたいだがぜんぜん気付かなかった。気配の薄さは父さんに似てしまったらしい。

「メモはみたか?」

「みたよ」

 言いながら俺の脇をすり抜け、冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注ぐ。

「いらないから」

「ん、なにが?」

「ご飯」

 そう言って雪那はお茶を冷蔵庫にしまうと、部屋に戻ろうとする。

「いらないことないだろ。いま腹へってなくてもあとで食べるだろ?」

「そうじゃなくて」

「じゃあなんだよ?」

「……いらないから」

 何か言いたげだったが、雪那はそれだけ言うとさっさとリビングを出て行った。



「よし、できたぞ」

 ありあわせにしては上出来だろう。

 二階の雪那の部屋にいって外から声をかける。

「ゆきー」

「……なに?」

 中からめんどうくさそうな声の返事が聞こえた。。

「夕飯できたからおりてこい」

「――いって言った」

「なに? よく聞こえない」

 雪那の蚊の鳴くような声はドアを挟んでは余計に聞こえづらかった。

「――ないって言った」

 うーん、だめだ、聞こえない。しかたない、後で謝ろう。

「開けるぞー」

 言うのと同時にドア開けた。ダメと言われても開けるのだから返事は待たない。

 雪那はベッドに寝転がって漫画を読んでいたようだ。枕もとに流行りの少女漫画が散らばっている。

「ちょっ――入っていいっていってない」

「声が聞こえないんだから仕方ない。で、なんだって?」

「ご飯いらないって言ったのに……」

「どうしてだ?」

 聞いてはみたけど喋ろうとしない。頑固なのは父さん譲りだな。残念ながらそれは俺もだけど。

「理由がいえないなら食べなさい」

「理由なら、あるもん」

「言わないとわからないだろ」

 くちをもごもごさせてはいるが、喋るようすはない。

 どうしても理由は言いたくないようだ。無理やり聞くのもかわいそうだしな、しかたない。

「わかったよ、じゃあ理由は言わなくていい。でも夕飯は食べなさい」

「えぇ……?」

 なんだその理不尽だと言わんばかりの目は。これでも譲歩したほうだ。

「とにかく、おりてきて食べなさい」

 俺は雪那の訴えを気にすることなくリビングに戻ろうとすると、

「ねぇ――」

 雪那が声をもらした。振り返ると雪那が俺を見ているが、視線は定まらずあちこちそれる。

「どうした?」

「あの――」

 喋ろうと唇を震わせてはいるが、声は聞こえてこない。よっぽど喋りたくないことなんだろうか。せかすつもりもなく、俺は雪那が喋りだすのを待つ。

 震える妹を見守ってしばらく、雪那はかすれるような声を絞り出した。

「学校で――その」

「うん」

 なかなか次の言葉が聞こえてこない。雪那はシーツをぎゅっと握りしめ、ずっと下を向いたままだった。

「なんて――いうかさ、えっと」

「うん」

「ひとりっていうか、その――」

「うん」

「仲間はずれに、ね――されてる、かもしれなくて」

「かもしれない?」

「いや、うん。――されてる」

 考えなかったわけじゃない、だからか驚きもしなかった。雪那は昔から人見知りする子だ。中学の時も同じ小学校からの友達とは仲良くしてたけど、他の小学校から来た子と仲良くしてる気配はなかった。中学の友達は同じ高校に行かなかったらしいから、心配はしていた。俺のクラスでもグループがいくつかあるし、特に女子はグループにうるさい。のけものにされたらクラスで孤立することもあるかもしれない。

 まぁしかし、それでも、

「仲間はずれにされてるのと、夕飯を食べないのは関係ないだろ」

「それは……」

「食べなさい」

「わ、わかったよ」

 いつも通り俺の頑固さが勝って雪那が折れる。とりあえず夕飯を食べさせることには成功した。一安心してリビングに戻ろうとしたけど、言い忘れてたことがあって雪那に振り返る。

「悪かった」

「え……?」

「勝手に部屋に入って悪かった。次からは入らないよ」

「べつに――入っちゃダメなんて、言ってない」

「そう? それはよかった」

 夕飯を食べ終わると、雪那はソファーに座ってお笑い番組を見ている。ピクリとも笑っている様子はないが。

 俺は食器を片付けながら妹のことを考える。同じ学校とはいえ学年が違えば交流する機会なんてほとんどない。まともに部活動もしていないから一年生の知り合いもいないから、状況を窺い知ることもできない。

「どうしたものか」

 食器を片付けが終わってテーブルで一息ついた時、雪那がおずおずと隣にきた。

「あのさ」

「なんだ?」

「えっと……ご飯、おいしかったよ」

「お粗末さま」

「それから……ありがと」

「頼りない兄だけどな」

「そんなことない」

「そう思ってくれてるなら嬉しいよ」

「それに自分の問題だもん。私が頑張らないと」

「頑張んなくていいよ、しんどかったら俺が聞くよ。母さんには……言わないほうがいいかもな。学校に乗り込みそうだ」

「ふふっ、そうだね」

 ひさしぶりに見た、妹の笑顔だった。

 風呂からあがって自分の部屋に入ろうとしたら、雪那が自分の部屋から顔を出してきた。

「どした?」

「なんでもないけど、寝るよね?」

「あぁ。ゆきも早く寝ろよ」

「わかってるよ」

「おやすみ」

 少しは元気になったようすの雪那に安心して、それだけ言って部屋のドアを閉めた。

「おやすみ、おにいちゃん」



地図にない道へ

 高校生活の二度目の夏は一番楽しい時期と言うけれど、それはたぶん生徒側の甘い考えだと思う。

 なぜなら夏休み前になると教員たちは口を揃えて進路のこと、つまり受験について熱弁してくるからだ。

「進路希望調査の紙を配るから終業式までに提出するように。いいですねー?」

 夏休みを前に早く休みにならないかと浮き足立っているみんなをよそに、担任の修善寺《しゅぜんじ》先生はホームルームを粛々と進める。若い女性の教員ということで人気はあるものの統率力には乏しく、血気盛んな高校生をまとめるのは難しいようだった。

「ほぉら、喋ってないでプリントを後ろに回してください」

 僕は前の席から流れてきたプリントを受け取り、振り返らずにプリントを掴んだ手だけ後ろへ回す。

「せんせー、第三希望まで書かないとダメなんすかー?」

「そうですよ。なるべく第三希望まで書いてください。でも強制ではないですから、どうしても書けないのであればひとつでもいいですよー」

 それはいいことを聞いた。進路なんて何も考えてないから、あたりさわりのないものをひとつ書けばいいか。

「きょうはこれでおしまいです。提出期限は守るように」

 ホームルームを聞きながら帰り支度を済ませておいた僕は、さっさと教室を出ようと席を立つ。するとうしろから肩を叩かれ、振り返ると氷智《ひさと》だった。彼とは親友と呼ぶには付き合いが浅く、知り合いよりは深い付き合いをしている。

「なあアキヒト、進路希望なんて書く?」

「ん? なにも決めてないから適当に書くよ」

「てきとうっておまえ進学だろ? まさか就職とか言わないよな」

「だから決めてないって。まぁふつうに進学だと思うけどね。そっちは?」

「あ、そんでさ。いまから遊びに行くんだけど、アキヒトも行くか?」

 聞いといて僕の質問には答えないのかよ。

「悪いけどやめとく」

「あっそう。じゃあいいわ」

「いやそこは誘ったんならもうちょっと食い下がれよ」

 行く気はないけど、そんなあっさり流されたらさすがに悲しくなる。まぁ、毎回誘いを断ってるからしかたない反応だとは思う。

「んだよ、どーせまた生徒会だろ?」

「そうだけどさぁ……。明日の休みだったらあいてるよ」

「いや、明日は俺がダメだ」

「そうなのか?」

「妹の買い物に付き合うことになってるんだよ」

「へぇ、妹がいたんだ。氷智がそんなに面倒見がいいとは知らなかった」

「ひとつ下なんだけど、さいきんちょっとあってな。たまには兄らしいことでもしようと思ってさ」

「ふぅん。それじゃあ邪魔するわけにはいかないね。また今度にしようか」

「あぁ、また誘うさ。そんじゃまたなー」

 氷智はそう言って、待たせていたグループの元へ行く。それを見届けてから僕も教室を後にした。



 教室を出て廊下の人波に逆らいまっすぐ三階の教室へ向かった。北側の端っこにあるその教室には手書きで生徒会室と書かれた札がかかっている。妙にまるっこいその字はひと目で女子が書いたものだとわかる。

 扉をノックしてから開けると予想通りの先客がいた。雑然とする教室内でパイプイスに座ってだらだらしている馴染みの顔が、だらだらしたまま軽く手を振り僕を迎える。

「あ、柏木くんだ。きょうもいらっしゃーい」

「こんにちは、先輩。きょうも居るんですね」

「生徒会長が生徒会室にいてなにが悪いのよぉ」

「授業をサボるのは良いことじゃないのでは」

 僕の指摘に先輩はバツの悪い顔をしたかとおもうと、わかりやすく目が泳ぎだした。

「さ、サボってないし! 言いがかりは良くないんじゃないかなぁ?」

「リボンつけ忘れてますよ」

「え、うそっ! さっきつけたはず」

「嘘です」

「……あぁ! 引っかけたなー!!」

「引っかかりませんよ、普通は」

「なによその、わたしがおかしいみたいな言い方は」

「みたいなじゃなくて、おかしいですねっていう話しをしてます」

「むぅ、柏木くんのくせに!」

 生徒会長の茅野《かやの》先輩と生徒会役員の僕は、授業が終わると生徒会室に来るのが習慣になっていた。先輩は授業をサボっているイメージしかないけど。

 イベントでもない限りなにか活動をしているわけではないんだけど、生徒会室にはふつうの高校にしてはクーラーが設置されている貴重なオアシスだ。夏場の蒸された教室からすぐに外へでて紫外線を受けるような行為はあまりしたくない。いったん涼んで熱を冷ましてから帰れる、それだけでここに来る意味は十分にある。うん、涼しい。

 先輩は会議用の長テーブルの上にスクールバッグを枕にしてだらけている。これもすっかり見慣れた光景だ。

「柏木くんは進路はどーするの?」

 携帯電話を取り出しメールのチェックをしていると、不意に先輩から聞き飽きた言葉が出てきてつい眉をひそめる。

「どーしたの、そんな怖い顔して」

「いえ。まさか先輩にまでそんなこと聞かれるとは思わなくて」

「この時期は先生たちがうるさいよねぇ」

「わかってるなら聞かないでくださいよ」

「だって先輩としてはさ、お世話になってる後輩がどんな道をいくのか気になるじゃない」

「お世話されてる自覚はあるみたいで安心しました」

「だから答えるのよ! ほら!」

 興味津々のキラキラした目でこっちを見つめる先輩。僕はさっき友だちにいったことと同じように答えた。それを聞いた先輩はつまらなそうに「ふぅん」と声をあげた。彼もそうだったけど聞いといてその反応は失礼じゃありません?

「柏木くんも案外ふつーなんだね」

「ただの高校生ですから。魔法が使えたり超能力に目覚めたりしてれば別ですけど。そういう先輩はもちろん進路は決まってるんですね」

 3年の夏ともなれば進路は決まっているはず。ただこのふにゃふにゃして先輩が受験のことを考えているとは思えないし、働いてるところなんて想像もつかない。そう感じてちょっと嫌味な感じで聞いてみた。

「もちろん決まってるよ」

「えっ、決まってるんですか」

「とーぜんでしょ! 私が卒業してからもだらだらしてるとおもってたの?」

「あ、はい。すみません」

「謝られた! やめて!」

 本音を言ったら怒られた。

「わたしはね、進学だよ。わたしには夢があるんだよ柏木くん」むげ

 驚いた。毎日のらりくらりと過ごしている先輩にまさか目標があったとは。昼休みは保健室に入り浸りベッドですやすや眠っている先輩にそんなやる気があったなんて。しかしそれならもうちょっと授業に出たほうがいいのでは……。

「聞きたい? ねぇ知りたい? 私の夢が気にならない?」

 満面の笑みで近づいてこないでください。身体を乗り出し頭突きできそうなほど近づく先輩から距離をとって制する。

「わかりましたから座って。聞きますよ」

「あれ、めずらしく素直だね」

「普通に気になりますから。あの先輩がかっちりしてる姿は想像できませんので」

 僕の言葉に満足気な先輩はひかえめな胸を張る。そして自信満々に宣言した。

「わたしの夢はお医者さんになることなの!」

「またまたご冗談を」

「なんでよ!?」

  ◆  ◆  ◆

 茅野先輩との付き合いはとても短い。

 初めて会ったのは僕が生徒会に所属することになった一年の冬のこと。役員をしていた友だちが転校することになったのが理由だ。彼とは中学からの付き合いだったこともあって、転校するのは非常に残念だった。

 そんな彼から自分の代わりに生徒会に入ってくれないかと言われた。なんでも生徒会長から信頼できる代わりを勧誘してこいとの命令だったらしい。断ろうかと思ったけど彼の頼みを無碍にもできないし、なにより信頼されているのだからそこは気持ちを汲んでやるのが友だちというものだろう。

 かくして、彼がいなくなったことでできた穴埋めとして僕は生徒会の門をくぐったのだった。

 そのとき歓迎してくれたのが茅野先輩。生徒会長は集会で壇上にあがることもあったらしいけど、正直まじめに聞いてるわけもなく顔もよくみていない。それに僕の記憶だと、そういう集会とかには女子じゃなくて男子が立っていた気がする。

 彼が転校する前に生徒会長に紹介してもらおうはずが、タイミングが合わせられなかったらしく僕ひとりで会うことになった。よく生徒会室にいると彼から聞いていたから訪ねてみると、小柄な女子生徒がいた。それが生徒会長だった。女子としても低めの身長にサイドで結んだ髪は幼さを助長させている。でもきっちりと着た制服と大人びた顔立ちに落ち着いた印象を受け、さすがに上級生なんだなと密かにドキドキした。

 そしてこの時の僕は、当時の先輩が感じさせた重みのある雰囲気の意味を知らずにいたのだった。

  ◆  ◆  ◆

 夏休み明け、残暑というには厳しすぎる日差しを全身に浴びて、僕は夏バテするギリギリのラインをなんとか保っていた。

 始業式から数日が経ち、だらけた空気から徐々に立ち直っていく生徒たち。蒸される教室内でも僕たち生徒は慣れたもので、下敷きでぺらぺらと扇ぐだけで十分戦えるぐらいには訓練されているのだ。

 それに反して教員たちは涼しい職員室からサウナともいえる各教室に移動するたび、打ち上げられた魚のように生気が失われていった。部活動の顧問をしている体育会系はともかく、デスクワークがメインの先生たちは休み中ですっかり冷房体質が身に付き、環境の変化に対応できていない。教室の隅から扇風機が送るぬるぅい風では効果はいまひとつのようだ。

 そんなうだるような暑さが続くなか、僕の周りである変化が起きていた。

 茅野先輩が学校に来ていない。

 いままでは授業に出ず保健室や生徒会室でサボっていることは何度となくあったけど、登校だけはしていた先輩がきょうもいない。はじめは夏休みボケが抜けなくて遅刻でもしているんだろうと思ったけど、少なくとも途中から登校した様子もなかった。

 まったくこれだけ休むなんて何を考えているんだか。ただでさえ学業がおろそかなのに出席まで減ったら卒業もあやしくなるでしょうに。

 そして放課後の生徒会室を訪れるがやはりそこに待ち人はいなかった。いつもなら長テーブルにだらしなく伸びている先輩が間延びした声で「柏木くーん」と切り出して、熱弁するわりに中身の無い話しをしてくる。だけどその声もいまは遠い昔に感じるほどに懐かしく思う。

 いつか聞いた先輩の夢。医者になることはかなり本気の目標だった。聞きかじった僕の知識でいかに医者になるのが難しいかを話したら「わかってる、それでもわたしは医者になりたいの」と苦しそうに笑っていた。

 最近の先輩は羽毛のようにふわふわしているけど、初めて会った時はしっかりと地に足がついていると感じられる重さがあった。その時の重さを思い出すぐらいの強い言葉だった。

 それから僕は誰もいない生徒会室をあとにして職員室へ向かった。

 扉をノックして中に入ると、三年生の担任を探した。もしかしたら先輩は体調が悪くて、それがたまたま長引いて学校に来ていないと思ったからだ。別の可能性も頭をよぎったけどなるべく考えないようにした。

 とりあえずうちの担任に先輩の担任が誰かを尋ねた。

「学年主任の伊万里先生よ。あ、ちょうどいいところに」

 そういって修善寺先生は声を上げて裏から出てきた老齢の男性教員を呼んだ。やや白髪気味の短い髪に丸眼鏡、細身だが堀の深い顔立ちの鋭い眼差しはベテランの貫禄を醸し出している。

 伊万里先生は手を上げるうちの担任に気づき、そして幽霊かと思うほど音もなく近づいてきて諭すように話す。

「修善寺先生、職員室で大きな声をあげないでください。他の先生の迷惑ですし、みっともないですよ」

「は、はい。すみません……」

 恥ずかしそうに俯く担任に伊万里先生は「次は気をつけてくださいね」と促し、用件を聞いてきた。

 生徒会長のことで聞きたいことがあると話すと奥へ案内されて、おそるおそる付いていった。初めて入る応接室と思われる場所でソファーに座り、話しをきく態勢をとる。

「柏木くんは、茅野さんから聞いていないようですね」

「聞いてないって、何をですか?」

 あいかわらずの落ち着いた口調で話す伊万里先生は僕を見て逡巡する。

 僕は目で返事をして続きを催促した。

「いえ、本人が話していないことを私の口からいうのは悩むところでして」

「茅野先輩が医者になるって話に関係がある、とかですか」

「ふむ、そのことは知っているんですね。そうですか……それならまぁ話しても……柏木くんは生徒会として真面目に活動もしてくれていますし、茅野さんも君になら話しても許してくれるでしょう」

 どうやら収まりどころが見つかったらしく納得している伊万里先生。どんな話を聞かされるかわからないけど、笑い話で済む感じではなさそうだ。

「茅野さんには、お兄さんがいたんですが――――」

  ◇  ◇  ◇

 帰り道、僕はだいぶ寄り道をすることにした。

 いつも降りる駅を通り過ぎ二つ先まで行く。なれない駅で降りて、そこからもらった手描きの地図を見ながら十分ほど歩いた。目的の建物が見えると少し呼吸が乱れた。

「女子の家にいくなんて小学校以来だな」

 さすがに緊張するけど、そんなことで引き返すわけにはいかない。僕は十分な時間をかけてインターホンを鳴らした。ガチャっという音と共に聞こえたのは女性の声。おそらく先輩のお母さんだろう。同じ生徒会員の後輩であることを伝え、先輩に会わせてもらえないか尋ねた。

『えーっと、ちなみにお名前は?』

「あっ……柏木、です」

 しまった。名乗りもせず先走って用件だけいうとは、我ながら冷静さを欠いてる。思ったより緊張しているのか。

『……あーはいはい、柏木くんね』

 どうやら僕のことを知っている感じだった。同じ生徒会だから話題にでたことぐらいはあったのだろう。どんな話題だったかは気になるところだけど。

『ちょっと待っててちょうだいね、いま開けるから』

「あ、はい」

 気のせいかずいぶんあっさりと入れてくれるな。後輩とはいえ男子高校生だぞ。もうちょっと拒まれるかと思っていたが。

 しばらくして玄関が開き、中へ入れてもらった。

「本当は人と会うのも控えさせたいんだけど、柏木くんにはお礼がしたかったから特別ね」

「……どこかでお会いしましたっけ」

 先輩のお母さんはにこにこするだけ答えてはくれず、そのまま階段をあがって先輩の部屋まで案内してくれた。二階の一室、ドアにかかったプレートに先輩の名前が書いてある。

「下にいるから何かあったらすぐ呼んでね」

「あ、はい。すぐに引き上げますからご心配なく」

 僕の言葉に安心した様子で先輩のお母さんは階段を降りていった。

「さて、と……」

 僕は深呼吸して気持ちを落ち着ける。言いたいことを頭のなかでシミュレーションしてからドアをノックする。

「先輩、柏木です。起きてますか?」

 中から返事はなかったけど、バサバサと何かが落ちる音は聞こえた。念のため少し待ったけど反応はない。

「先輩? はいりますよー?」

 言うだけいって僕はドアノブに手をかける。その気配を察したのかドア越しに先輩の慌てた声が響いた。

「なに、なんなの!? ちょ、ちょっと待ってくれるかな!?」

 そう言われても、ドアノブを回す手は止まらない。僕は有無をいわさずそのままドアを開けた。

 パジャマ姿の先輩はドアまでダッシュしようとして足を踏み外したのか、ベッドからずり落ちていた。枕元とその周辺にはたくさんのノートや参考書が散らばっていた。さっきの音は積んでたあれが崩れたみたいだ。

「楽しそうですね先輩」

 僕がにやにやしながら言うと、先輩は顔を上げてむっとした表情で睨んできた。この状態で睨まれても愛嬌が増すだけですよ先輩。

「柏木くん。わたし、待ってっていったよねぇ?」

「いってましたねー」

「じゃあなんで入ってきたの!」

「待ってたら閉めだされそうな気がしたので」

「なっ……そんなことしないよ?」

「先輩は嘘が下手なんですから素直なほうがいいですよ」

「ぐぅ、褒められてる気がしない」

「そりゃあ褒めてないですから」

「えぇ…………もう本当に、きみはなにしに来たのさぁ」

  ◇  ◇  ◇

「伊万里先生にぜんぶ聞いてきました」

 僕の唐突な発言に先輩はビクッと肩を震わせた。布団をかぶり身体ごと顔を隠そうとするがチラチラとこっちをうかがっている。

「全部って、どこまで……」

「スリーサイズとか。先輩って着痩せするタイプなんですね」

「いい笑顔でなんの話しをしてるのかなーー!!」

 先輩はいきり立って手元の高そうな枕をぶん投げてきた。先輩が投げた枕をバスンと軽く受け止め、そっと投げ返す。

「それから、お兄さんがいたこと」

「……そう」

「もちろん病気のことも聞きました」

 バツの悪そうな声をあげる先輩はキャッチした枕に顔を埋めた。

 先輩は幼い頃から完治しない病気を持っていて身体が弱い。普通に生活はできるけど過度な運動はできずストレスなんかの精神的なものも負担となりうる。いまになってみれば、先輩がよく生徒会室にいたり保健室で休んでいたりしたのもそういうことだったのだろう。

 病気のことも聞きたいことひとつだったけど、それ以外にわからないことがある。それを知りたくて僕はここにきた。そのためには先輩から話してくれるのが絶対だ。無理強いして聞くようなことじゃないのだから。

 ひとしきり唸り終わったのか、先輩は険しい表情で諦めたようにため息をついた。

「医者になる夢はわたしじゃなくて、兄さんのものだったの。兄さんは勉強もできてクラスで人気も人望もあるすごい人だった。でも小さい頃から病気だったわたしをはずっと気にかけてくれていたの。

 あるとき医者を目指すっていい始めたの。わたしの病気を治すためだ、なんていわなかったけど、少しでも助けになれればっていってくれてた。お父さんもお母さんも兄さんを応援してた。

 でもわたしはちょっとだけ残念だった。兄さんは何でもできたのに、わたしにかまってばかりで自分のやりたいことができなくて、あげくには医者になってわたしを助けたいって……わたし辛かった。兄さんの可能性をわたしのために潰しちゃったことが……」

「そんなこと、お兄さんからしたら余計なお世話だったでしょうね」

 僕の辛辣ともいえる言葉に先輩は僕に視線を送り、そしてすぐそらした。

「柏木くんにはわからないと思う」

「わかりますよ」

 先輩はこっちを見ない。布団をぎゅっと抱きかかえその手を強く握りしめている。

「わかります。僕でも先輩のために何かしてあげたいと思うんです。お兄さんだったらその想いがどれだけ強いかぐらいわかりますよ。それにお兄さんは自分で先輩のちからになりたいと思って行動したんです。それを先輩が否定したらあんまりじゃないですか。だいたい先輩は自分のことになると途端に判断力とか鈍くなるんですから、難しく考えないでください。いつも生徒会を仕切ってるように直感で理解してください。そのおかげで振り回される僕たちがどれだけ苦労して運営してるかわかってます? そんなんで会長が務まってるのが不思議ですよ、僕らのせいですよ!? いいですか先輩、人という字は――」

「か、柏木くん? そんな拳を握りしめるほど熱弁しないで……あと途中から違うこといってない……? 日本語おかしいし……」

「あぁすみません。つい日頃の鬱憤がもれてしまいました」

「短い付き合いだからかな、わたしは時どき柏木くんのことがわからないよ……」

 うっかりヒートアップしてしまったから一度深呼吸をする。先輩の様子をみてから気を取り直して話しを続けた。

「さて、これで先輩がいかにダメな人かっていうのがわかっていただけたと思います」

「柏木くんじつはわたしのこと嫌いでしょ? そうなんでしょう?」

「僕は真面目に話してるんですからちゃんと聞いてください」

「……わたしもう疲れちゃったから流していいかなぁ?」

「そんなダメな先輩に僕から提案があります」

「うん? あぁそうなのね。どうぞーきいてるよー」

「医者になる夢は諦めてください」

 布団にうずくまり呆れきっていた先輩が顔をあげて僕を睨みつけた。その目にうっすらと浮かぶ涙を僕は見て見ぬふりをして、瞳をみつめ返す。

「どうして、そんなこというのかな」

 かすかに震える声。それでもなお力強い言葉で僕を問い詰める。

「理由はあります。最後まで聞けばわかってもらえす」

 先輩は唇を噛み締め僕をみつめ続けた。

 それに応えるように僕は言葉を紡ぐ。

「先輩は治療に専念してください。治らなくてずっと付き合っていかなきゃならない病気だというのは知ってます。それでも無理をするしないとでは身体への影響は格段に違うはずです」

「でも、それじゃあ…………兄さんの夢が叶わない。わたしは兄さんの夢を継がなきゃいけないの。本末転倒だってことはわかってる。でもそうじゃないと、兄さんに合わせる顔が……」

「僕にまかせてください」

 先輩はきょとんとした顔で僕を見た。きっと何を言い出すんだと不思議なんだろう。僕自身、こういう結論にいたったのは驚いたけど、まぁたぶんこれが僕なりのやり方なんだ。

「僕がお兄さんの夢を継いで医者になって、それで先輩の助けとなります」

「柏木くん……?」

「大丈夫です。僕もお兄さんと同じぐらい、いやそれ以上に先輩のことを大事に想っています。まぁ力不足は否めませんが、あと数年もあればちからの使い方を覚えて十分に発揮できますから。これでもけっこうスペックは高いんです」

「柏木くん、それを一般的には暴論っていうんだよ。っていうかちょっと待ちなさい。いまさらっと何言ってくれちゃったの?」

「先輩落ち着いてください。キャラが崩れてます」

「そ、そうね。うん、大丈夫。気にしない気にしない」

「僕がいったことは大いに気にしてほしいんですけど」

「だったらもっと言いかたってものがあるんじゃない!? 落ち着けっていったその口でわたしを動揺させるのはなんなの? 本当に柏木くんのことがわからない!」

 先輩が予想以上に荒ぶってしまいさすがにデリカシーがなかったかなと反省。ことがおさまったら怒られるんだろうな……。すでにだいぶお怒りだし。

 ベッドの上で髪をぐちゃぐちゃにして身悶える先輩の姿に、じゃっかんの申し訳無さを感じつつ話しを進める。

「というわけでこれから先輩のお世話をすることにしたのでよろしくおねがいします」

「え、なに、終わり? 最後まで聞けばわかるっていった理由それで終わりなの? それが理由?」

「はい」

「自信満々だぁ……やだちょっと柏木くんがこわいよぉ……さっきまでのシリアスな空気なんだったのぉ……」

 喜怒哀楽がころころと変わるのを見てる僕はちょっと楽しい。とか言ったらやっぱり怒られそうだ。

「それで先輩は?」

「な、なによ」

「僕はおねがいしますって言いましたけど、まだ返事を聞いてません」

「返事って、それはその、そういうことのって、あれよね」

「引っ張るようなことでもないので手短におねがいします」

「柏木くん、横暴って言葉しってるかな?」

「長いこと興奮してるとお体に障りますよ」

「きみのせいなんだけどね!」

「あ、カウントダウンしましょうか?」

「い・ら・な・い。…………本当にわたしなの?」

 先輩は急にしおらしくなって自信なさげな声をだし、少し赤くなった目で僕をみつめている。

 よかった、やっと本音を引き出せたみたいだ。

 あんなシリアスな空気のまま告白まがいのこと言ったら間違いなく先輩は考えすぎるだろう。考えまくったあげく自分のことは後回しにして、僕に申し訳がないとかなんとかいって遠ざけるなりしていたかもしれない。こうやって思考する余裕をなくしてあげれば先輩の本心が聞けそうな気がしたけど、うまくいったのかな。

 まぁ途中から楽しんでたのは本当だけど、これも黙っておこう。

「先輩さえよければ」

「暁人《あきと》くん……」

 僕の名前を呼んだかと思うと、先輩は涙を浮かべぼろぼろと泣き出してしまった。声を出さないかすかな嗚咽ともに流れる涙を僕は静かに受け止めた。

   ◇   ◇   ◇

 気がつけば窓から見える景色が夕焼けに染まっていた。身体中の水分を出しきったんじゃないかと思うほど泣き続けた先輩も、いまはすっかり落ち着いて布団をかぶっている。

 すぐに引き上げるといったのにこんな時間になってしまい、先輩のお母さんになんて説明したものか。さすがに帰ろうと腰を上げると気配に気づいたのか布団がもぞもぞと動いた。あいかわらず髪をぐちゃぐちゃにしたままの先輩が顔をだし、真っ赤な目で、

「帰るの……?」

「長居しすぎましたから今日のところは。先輩はまだ学校休んでますよね、明日また来ますよ」

「うん、ありがと」

 恥ずかしそうに手を振る先輩をみて頬がゆるむのを感じた。

 鞄を取り部屋を出ようとしたところで、もう1つ大事なことを聞き忘れていたのを思い出す。

「先輩、最後にもう1つだけ聞きたいんですけど」

「うん? なにかな?」

「どうして生徒会長にをやろうと思ったんですか? 身体の負担になることはやらないほうがいいてわかってるのに」

 思ってもいない僕の質問に少し驚きつつ、先輩はかぶっていた布団から這い出て身体を起こした。

「わたしは元気だってところを兄さんにみせたかったの。いつも心配かけてたから。わたしはひとりでも大丈夫だって、伝えたかったんだ。あんまり見せてあげれなかったけど」

「そうだったんですか。話してくれて、ありがとうございます」

「ううん。わたしも柏木くんには聞いてほしかったから」

 そう言って先輩はいままでで一番の笑顔を見せてくれた。それだけで僕はきょうのできごとが間違いじゃないと、そう思えた。



シカク×まる

 あのバカと別れてから分かったことがひとつある。

 あいつは、私のことを好きではなかったのだ。


『なんで別れたの?』

 別れてから数日、聞き飽きた言葉に私は決まってこう返す。

『なんとなく』

 あの感覚は他に言いようがない。

 それよりも私が不思議なのはあのバカと付き合い続けている子がいるということ。

 あんな奴の相手をしていれば、なんともなしに別れたくもなるのではないか。

 それともすぐ別れた私が変なのか?

 私がマイノリティ?


「私って変かな?」

「変だよ」

 テストも無事に終わって、いつもの店でハンバーガーを食べている。私の疑問を親友の阿佐美《あさみ》に相談してみたけど、即答された。

「阿佐美に肯定されるとムカつくわね」

「あの仮面王子と付き合った子は間違いなく変人だよ」

 携帯をいじりながらにやついた顔で阿佐美は答える。

 私は紙コップに入ったお茶をひと口飲み、反論する。

「でもすぐ別れた」

「そもそも付き合わないよー。噂を聞いていたならなおさらねぇ」

「なんとなくいいかなって思ったの、ちょっとした興味本位だったの」

「そりゃあ興味は沸くけど、あたしでもダメだってわかるよ、あれは」

 阿佐美の正論にぐうの音も出ない。

「学校に行きたがるような結奈《ゆうな》から彼氏ができたって聞いたときは、親友として嬉しかったけど、まさか仮面王子だとはねぇ」

「もういいわよ、バカだって言いたいんでしょ」

「そうじゃないけど、初めての相手がアレはかわいそうだなぁって」

 あきれたように笑う阿佐美に返す言葉もない。たしかに、最初の相手がアレはあまりいい思い出になりそうもない。甘酸っぱい青春には程遠く、私の心は真っ黒な暗雲で埋め尽くされている。

「そんじゃ、時間だから先に出るよー」

 やっと携帯を閉じたかと思えば、阿佐美が席を立った。

「時間って――あぁ、おデートかしら?」

「あったりー! 正解したご褒美にクーポン券をあげましょう!」

「注文した時もらったやつでしょ」

 阿佐美からトレーに放ってあった紙切れを押し付けられる。

「結奈も新しいパートナーつくりなよぉー」

「余計なお世話だ幸せ者、さっさと行け!」



 誤解なきよう、私が変ではないことを証明したいと思う。そのためにまずあのバカのこと、つまり仮面王子こと相川宗也《あいかわそうや》の話をしよう。

 それは付き合って初めてのデートでのこと。

 恋仲にある私と肩を並べて歩いている彼の隣には、もう一人の女の子が歩いている。

 彼女の名前は神無《かんな》ちゃん。学年はふたつ下の一年生で、背が小さく明るめのセミロングの髪はゆるくウェーブがかかってふんわりしている。化粧は薄く真ん丸いくりっとした瞳に長いまつげ。制服の上に着ている少し大きめのカーディガンは袖が余り気味で、手を半分隠している。男子なら十人中十人が可愛いと思うような、女の子らしい女の子。

 そんな妹系代表のような神無ちゃんと並んで歩いている私は、針のむしろな気分だった。

 残念ながらわたしの容姿は、少なくとも可愛いや美しいの類ではない。阿佐美には「背景みたい」と言われたこともある。友達の容姿に対する感想がそれである、ひどいやつだ。

 しかし認めるのは癪だけれど、妹系代表と並んでしまっては比喩ではなく本当に背景に見えることだろう。

 まぁそんなどうでもいいことは隅に置いておくとして、問題はこの神無ちゃん。私の彼氏である相川宗也の彼女だと言う。私自身も意味不明なのだけれど、そういうことらしい。もしかしたら私は、このバカの彼女を自称している、とても痛い子なのではないかと不安になった。そこで、神無ちゃんに私もこの男の彼女だと伝えてみた。すると返ってきたのは「よろしくお願いします!」という、この関係があたりまえのような言葉だった。

 まだ相川宗也という男について知らず、当惑している私に神無ちゃんが説明をしてくれた。説明といってもほとんど惚気のような話を聞かされただけだった。なぜ仮面王子と呼ばれているかもわからず、唯一相川宗也がどんな男かわかる言葉が「あたしは四番目の彼女です!」だった。

 毎日いっしょに帰る女の子が変わり毎週遊びに行く女の子が変わる。私もそのひとりだった。そんな状態が続けば何かがおかしくなってくる。だからおかしくなる前に別れたのだ。

 あのバカは付き合っている子全員に好きだなんだと言っているみたいだが、そんなことあるはずない。私への言葉も上辺だけのものであったのだろう。だから別れたのだ。

  ◆  ◆  ◆

 涼しく快適な気候も少なくなり、少しずつじめじめとした空気に変わってきた。午後の授業も終わり事務的なホームルームのあと、私は教室を出てまっすぐ帰らない。向かったのは普段は生徒が行く用事もない、北側の端っこにあるひとけの無い教室。まるっこい字で生徒会室と書かれた扉を開けると、すでに待ち合わせの相手がいたことに少し驚いた。

「柏木くん早いのね。待たせたかしら」

 後輩の男の子が作業をしていた手を止めて顔を上げた。

「問題ないですよ、三島先輩」

 彼は年下とは思えない落ち着いた子で生徒会の役員を務めている。役立たずの生徒会長さんに代わって副会長が生徒会を取り仕切ってるなか、彼は彼で会長のサポートに努めているらしい。

「頼まれてた資料だけど、これでいい?」

 私は鞄からファイリングした資料を手渡す。柏木くんはそれを受け取り、確認するように軽く目を通す。

「はい、これで十分です。ありがとうございます」

「どういたしまして。でも、そんなもの何に使うの?」

「ちょっとした頼まれ事です。助かりました」

 彼の素直な感謝の言葉に私も気分が高揚する。おもわず頬が緩んでしまいそうになり恥ずかしくて、話題を変える。

「ところで生徒会長さんは?」

「今日はまだ見てないですけど」

 柏木くんがそう言うのと同時かというタイミングで生徒会室の扉が開いた。振り返ると見慣れた顔がいたけどむこうは私が居るのに驚いていた。

「あれ、結奈? なんでいるの?」

「どうも生徒会長さん、お邪魔だったかしら」

「そんなことないよー、結奈なら大歓迎だよ」

 生徒会長はのんびりした声で笑うとサイドで結んだ髪を揺らしながら、窓際にあるパイプイスに座った。そして机に突っ伏しだらしなく伸びる。私も空いてるイスに腰を下ろしたが、代わりに柏木くんが立ち上がった。

「それじゃ先輩がた、僕はもう帰りますね」

「えー! ちょっと暁人くん? わたし来たばっかりなんだけど!」

 広げていたプリントを鞄にまとめる柏木くんに生徒会長が文句を言う。

「きょうは三島先輩から受け取るものがあったから来ただけですから」

「で、でも! 仕事は?」

「今期はとりたててないですよ」

「え、そうなの?」

「特にイベントもないものね。生徒会にいるんだからせめてそれぐらいは把握しておきなさいよ」

「年間予定表を暗記しているような結奈に言われたくない!」

 そう言ってビシっとわたしに指をさす。

「人を指さしたら駄目よ」

「あっ、ごめんなさい」

「それじゃ柏木くん、また今度ね」

「あっ、ちょっと!」

 生徒会長の駄々で引き止めるのも悪いから、私からそれとなくとタイミングを出してあげた。

「はい。それじゃあまた」

「まだ話おわってないー!」

 会長の言葉もかろやかにかわして柏木くんはするっと出ていった。

「ちょっと結奈ぁー」

「なによ生徒会長」

「なんで暁人くん帰しちゃうの。話したいことあったのに」

 むすっとした顔で文句を言ってくるけどいつものやり取り。

「暇な時期くらい自由時間をあげなさいよ。忙しい時は頼りっきりなんだから」

「頼ってないし! 暁人くんからやりますよって言ってくれるんだよ!」

「会長が頼りないからそう言うしかないんじゃないの?」

「むぅー。今日なんか結奈きつくない? なにかあった?」

「何もないわよ」

「ごまかしてもわかるよ。結奈がうちのこと名前で呼んでない時はなにかある時なんだよ」

 私にそんな癖があったとは知らなかった。次からは気をつけよう……

「そんなことより聞いたよ結奈!」

「聞いたって何を?」

「宗也くんとくっついて離れたんだって?」

 またその話ね。それよりもうちょっといい方を考えてほしいわ。

「……一応聞くけど、誰からその話しを?」

「阿佐美から」

 やっぱりかあのやろう。言い回ってるんじゃないだろうな。

「ねぇねぇ、いまどんな気分?」

「ずいぶんと楽しそうね、木乃花《このか》」

「ねぇどーなの?」

 嬉々として詰め寄ってくる木乃花に、多少の腹立たしさを感じる。傷口に塩を塗りまくってくるな、こいつ。柏木くんをあっさり帰したのが相当に恨みを買ったらしい。

「ノーコメントよ」

「つまらないなぁ。もっと抱腹絶倒するような感想はないの?」

「そういうのは阿佐美の担当」

 不満の声を漏らし席に落ち着く木乃花。

「そういえば木乃花はあのバ……相川くんと同じクラスだっけ」

「いえーす。宗也くんとは一年から同じクラスだよ」

「そのわりには話しに出てきたことはないわね」

「宗也くんのことを話題にするのは、彼女さんたちだけだよ」

「ふぅん。じゃあ木乃花は相川くんと付き合いがないの?」

「挨拶くらいはするけどそれだけかな。話そうとも思わないしねー」

 立場上そして性格上、分け隔てなく他の生徒と接する木乃花にしては珍しいことだ。

「あらどうして?」

「自分より頭の悪い人とどう接していいか分からなくて」

「あぁ……」

 そう、相川宗也は頭が悪い。有り体に言ってバカなのだ。

  ◆  ◆  ◆

 ある日の休日。阿佐美と買い物に行く予定の私は待ち合わせ場所の駅前で待ちぼうけをくらっていた。

「阿佐美の言葉を信じた私がバカだったか」

 時間になってもこないから電話をしたところ阿佐美はぐっすりおやすみ中だった。「三十分で行くから!」とだけ言って電話を切りやがったので、待っていたらこれだもの。

「なにが三十分だ。もう一時間はたつわよ」

 再び電話をかけたところでもう着く詐欺になるのはわかりきっている。こうなったら待つしかない。

 日陰で暑さを緩和しながら待ち、音楽プレーヤーの曲が二回目のループに入ったころ、人混みの中にあいつの姿を見かけた。だらしなく着た制服、スクールバッグにはサイケなデザインの缶バッチの数々。ぼさぼさの真っ黒な頭に、女子顔負けな白い肌はあいつに間違いない。キョロキョロしてるそいつをつい目で追いかけてしまい、それがまずかった。むこうも私に気がついたようで、にこにこと嬉しそうな顔でこっちに駆け寄ってきた。

「やぁ結奈ちゃん。こんなところで偶然だね」

 いっそ無視してやろうかと思ったけどそんなことをしたら多分泣く。まさかと思うだろうがこいつは泣く。ちょっと引くぐらい泣く。そうなるのは困るので仕方なく相手をすることにした。

「えぇ本当にまったくもってとんだ偶然ね、相川くん」

「結奈ちゃんも買い物?」

「そんなところよ。相川くんも買い物かしら」

「うん、そうなんだ。如月ちゃんと一緒にね」

 如月ちゃんはたしか……二番目の子だったかしら。

「いっしょって、姿が見えないけど」

「それが待ち合わせをしてるんだけど、如月ちゃんが見当たらないんだ」

「駅前で間違いないの?」

「うん。時間は過ぎてるんだけど、いないんだ」

 たしかあの子は時間にうるさかったから、遅れるなんてことないと思うんだけど。ということは、

「ちなみに西口と東口のどっちで待ち合わせなの?」

「どっちって、ここが西口なんだから西口で待ち合わせに決まってるじゃないか」

「はぁ……こっちは東口よ。西口は反対」

 やっぱりかこのバカは! 私の時も同じ間違いしてたでしょ……

「あれそうなの? じゃあ如月ちゃんは」

「向こうにいると思うわよ。早く行ってあげなさい」

「ありがと結奈ちゃん!」

 おもむろに私の手を握ってそう言うと、焦る様子もなく変わらない歩調で構内の階段をのぼっていった。

「ちょっとは急ぎなさいよまったく」

 握られた手の感触の名残を感じながら構内を眺めていたら、なぜか阿佐美が階段を下りてあらわれた。走る様子もなくトコトコ歩いてやってきやがった。

「お待たせ結奈。さぁいこーか!」

「まてこら、謝罪の一言もないのか」

「謝って済むならケーサツはいらないんだよ、ゆーな!」

「ごめんなさいは?」

「ごめんなさい!」

 阿佐美は手を合わせ全力で頭を下げた。一瞬でそこまで手のひら返されると、なんだか真剣さが伝わらないわね。

「もういいわよ。いいけれど、それにしても遅くなかった? だいたいなんで駅から出てくるのよ」

「じつは……向こうが東口だと勘違いを」

「あんたもか」

  ◆  ◆  ◆

 休み明けの気だるい月曜日の放課後。特に予定もなくまっすぐ帰ろうとしたら、昇降口でバカに遭遇した。

「あっ、結奈ちゃんだ」

「あら、さようなら」

 さらりとかわしてバカを置いていこうとしたが、どうしてか追いかけてきた。

「ちょっと結奈ちゃん、待ってよ」

「なにかご用かしら」

「よかったら一緒に帰ろうよ、今日はひとりで寂しいんだ」

 男が伏目がちに寂しいとか言ってきたんだけど。胸の奥がもやっとするのはなんなのだろう。

「って、ひとり? いつもの子たちはどうしたのよ」

「今日は葉月ちゃんと約束してたんだけど、委員会で残らなくちゃいけないからっていっしょに帰れなくなったんだ」

 知らない子だわ……また増えたのね……

「それは残念だったわね」

「だから結奈ちゃんと一緒に帰れたら嬉しいよ」

 この男はどうしていつも、なんていい笑顔でなんてこと言うのかしら。怒る気力がなくなってくるわ。

「私はもう、そういうのじゃないんだからあんまり仲良さげにしない方がいいわよ」

「そういうのって?」

「ちゃんと付き合ってるわけじゃないから、他の子に悪いでしょってこと」

「あぁー……そういうこと」

 気づくのが遅い。自分で言ったとはいえ納得されると余計に悲しくなるわね。

「でも関係ないよ。僕がだれと付き合っていても、せっかく仲良くなれたんだから結奈ちゃんとお話したいよ。僕が結奈ちゃんと仲良くしてほかの子に嫌われちゃうなら、その子とは相性が悪かっただけだよ。僕と仲良くしてくれる子は結奈ちゃんとも仲良くなれるはずだよ」

「それは、また……ずいぶんな理想論ね」

「そうかなぁー」

 口では天邪鬼なことを言ってしまったけど、でも、たぶんそういうことなのだろう。

 実際、彼と付き合っていた間にほかの女の子たちと喧嘩になったことはない。阿佐美や木乃花ほど仲良くなったわけではないけれど、普通に話題を持ち寄って話ができるほどには仲が良かったと思う。相川くんの話題になった時も、みんなお互いの惚気話を聞きあっていて嫉妬でいがみ合うようなことにはならなかった。さすがに恥ずかしくてあの輪に私は入れなかったけれど。

 あぁ、そうか、そうだったのか。彼にとっては付き合うという言葉に意味なんてないのだ。便宜上そう言うしかないだけで。ただ仲良くなって何も考えずに楽しい時間が過ごせる、さながら家族のように気が置けない間柄になることが彼にとっての付き合うなのだ。だから好きという気持ちが等しくなるのも不思議なことじゃない。

「相川くんは、付き合っている子たちのこと好き?」

 普段私が口にしないような質問に彼は目を丸くしていた。我ながらバカな質問だと思う。でも、聞かずにはいられなかった。質問からひと呼吸おき、相川くんは笑ってこう言った。

「もちろん好きだよ」

「…………私は?」

「好きだよ、もちろん」

 即答だった。

 嬉しかった。

 そして、悲しくなった。

「だから一緒に帰れて嬉しいよ」

「でも、私はもう付き合わないからね」

 私にはそんな資格なんてないんだ。だから私は精一杯の笑顔を作り言ってやった。

「そっか、残念だな。でもこうして空いた日には一緒に帰ってくれる?」

「それくらいなら、まぁいいわよ。あなたの隣が空く時なんて滅多にないでしょうけど」

「みんなに言って空けてもらうから大丈夫だよ」

「それじゃあ意味ないじゃないの! だいたいいま何人目までいるのよ」

「十人は超えてた気がするなぁ」

「ちょっと増えすぎじゃない!? 私でもひと桁だったのに」

「あれ、結奈ちゃんは何番目だったっけ?」

「知らないわよ」

「あぁそうだたしか――」

「言うなバカぁ!」



 訂正

 あのバカと別れてから分かったことがふたつ。

 あいつは私のことを好きだったのだ。

 そして私はあのバカを好きになった。



夜天の空

 年が明けるまで残すところ一週間。駅前のイルミネーションが煌めくなか、相川宗也《あいかわそうや》は待ちぼうけていた。

 吐く息が白く濁る寒空の中でたたずむこと数時間、雪のように白い肌をした宗也の頬は赤みをおびている。制服の上からダッフルコートを着込んではいるが、首元からは冬の冷たい風が侵入し放題だった。

 宗也の待ち人同じ三年生の友だちで、三島結奈《みしまゆうな》という女の子だ。終業式のあと買い物に付き合うという約束で待ち合わせをしていた。

 ところが結奈は帰り際に頼まれ事ができてしまったらしく、宗也のもとには遅くなるというメールが届いた。その内容にはお店にでも入って待っていてほしいとの旨も書かれていたが、宗也はこうして待ち合わせ場所の駅前にある噴水の前で、忠犬のように結奈を待っている。

 宗也がなんとなくイルミネーションの電飾の数をかぞえていると、ポケットの携帯電話が鳴った。液晶には新着メールの表示。携帯電話をひらきメールを開封する。それは結奈からで『駅に着きました。どこのお店にいる?』という連絡だった。

 宗也は慣れた手つきで『噴水の前にいるよー』と返信する。これなら再度連絡はしてこないだろうと思い、携帯電話をたたみポケットにしまった。

 それからしばらくすると、宗也をみつけた結奈がツカツカと近づいてきた。その表情は険しく、怒っているようにもみえた。

 宗也も結奈に気付くと、軽く手を振って迎えた。そしてパーソナルスペースまで来たところで、結奈が開口一番に言い放つ。

「こぉんのバカー!」

「どうしたの、結奈ちゃん?」

 宗也は珍しく声を荒げている結奈を不思議そうに見る。

「それはこっちのセリフよ! なんで外で待ってるのよ。寒いからお店に入ってなさいってメールしたわよね?」

「……寒くないよ?」

 宗也はあっけらかんと答える。結奈は表情をそのままに、宗也の手を握った。その冷たさに身体がビクっと反応する。

「雪だるまと握手してるんじゃないかってぐらい冷たいわよ」

「ほら、僕はもともと体温低いから」

 いつもの爽やかさで笑いかけてみるも、結奈のお咎めは続いた。

「馬鹿言わないの。ただでさえ白いのに、こんなに冷たくなってたらほんとうに死んでるかと思うわ」

 そう言って結奈は手を離した。宗也が小さく苦笑いを浮かべると、結奈は呆れた様子でうつむく。

「遅くなっちゃったから急ぎたいけど、ちょっと寄り道するわね」

「寄り道って、どこに?」

 歩き出そうとしていた結奈は振り返り、決め台詞のように言う。

「スタバよ!」



 宗也は角の席を確保をして、注文にいった結奈を待っている。

 店内は混雑していてほとんどがカップルと思われる男女だった。仲睦まじくする人らを、宗也はぼんやりと眺めている。その頭の片隅には付き合っている女の子たちの姿がチラついていた。

 カップを持った結奈が席までくると、宗也の前に座りカップの片方を渡す。

「はい。これ飲んで暖まりなさい」

「ありがとう。きょうは結奈ちゃんやさしいね」

 宗也の素直な感想だったが、結奈はしかめっ面で苦言を呈する。

「あしたは大事な日なんだから、風邪でもひいたらどうするのよ」

「身体は丈夫なほうなんだけどなぁ」

「どの口がいうのかしら」

 結奈の視線は雪のように白い肌へと向けられる。宗也は視線を感じて照れるようにはにかむ。

「色白なのは生まれつきだよ」

「説得力がないっていってるのよ」

 宗也は薄く笑うとコーヒーを啜り、ほっと息をはく。のんきな宗也を見て結奈はため息をついた。

「プレゼントはもう決めたの?」

「うーん……まだ決まらないんだ」

「あなたはいつも貰う側だものね」

 そう言われて、再び付き合っている女の子たちが頭に浮かんできた。そしてその中にはいない結奈のことを考える。

「結奈ちゃんはどんなもの貰ったら嬉しい?」

「私の趣味じゃ参考にはならないわよ」

「そうかなー」

 要領を得ないやり取りに結奈は呆れつつ、案を立てる。

「じゃあ、マフラーとか手袋はどう?」

「マフラーはもうお気に入りがあるみたいだけど、そういえば手袋はなかったなあ」

 宗也は思い出すように答える。

「なら手袋がいいんじゃない? 色とか柄の好みぐらい二人で考えれば大丈夫だと思うし」

「それが良さそうだね。そういうお店ってこの辺にあるのかな」

 心配する宗也だったが、結奈は問題ないといった口ぶりで、

「めぼしいところは知ってるから大丈夫よ」

 頼もしい結奈の言葉にほっと胸をなでおろす。

「結奈ちゃんがいてくれて助かったよ」

「こんな調子で、いままではどうしていたのかしら」

「去年までは羽衣《うい》に直接ほしい物を聞いていたんだよ。でも来年は中学生になるから、ちょっとサプライズをしてあげたくてさ」

「ふぅん。羽衣ちゃんならそんなことしなくても喜んでくれると思うけれど」

「そうだといいんだけどね」

 宗也がかすかに見せた憂い顔に、結奈は胸中をさっしたような言葉をかける。

「いつまでもお兄ちゃんにべったりしてるわけにはいかないのよ。嫌われてるわけじゃないから安心しなさいな」

「そう思う?」

「私は一人っ子だから妹の気持ちはわからないけれど、女の子の気持ちはわかってるつもりよ」

「そう言ってくれると頼もしいよ。ありがとう」

 宗也のお礼の言葉に、結奈はまんざらでもない仕草でココアを口に運んだ。

 喫茶店を出た二人は、結奈が案内したお店に入ってプレゼントを選んでいる。時間も遅くなってしまったので、長居することなくてきぱきと厳選を済ませたのだった。

「羽衣ちゃんにぴったりな色味があってよかったわね。サイズがちょっと心配だけれど」

「すぐにちょうどよくなると思うし、少しくらい大きくても大丈夫だよ」

「相川くん、女の子がみんな私みたいにでかくなるわけじゃないのよ」

「うん? 結奈ちゃんは大きくはないでしょ」

 あたりまえのように話す宗也だったが、結奈はむずかしい顔になる。

「そりゃあなたからすれば私は小さいと思うかもしれないけれど、ふつうの女の子よりはでかいのよ」

 宗也はやや理解していないようなきょとんとした顔をみせる。それでも構わないのか、結奈は無視して話を続ける。

「ほら、用は済んだのだからはやく帰ってあげなさいな。羽衣ちゃんが待ってるわよ」

 そう言って手で追い払うような仕草をする。

「わかってるって。きょうは付き合ってくれてありがとう」

「お礼はもう十分聞いたわ。じゃあ、またこんどね」

 宗也は立ち去ろうとする結奈をみて慌てて手を取った。

「あぁちょっと待って」

 急に手を掴まれた結奈はわずかに驚いた顔をみせたが、すぐに気を引き締めてみせる。

「なに?」

「はいこれ」

 宗也は手のひらに収まる大きさの紙袋を渡した。

「これは……なにかしら」

「結奈ちゃんへのプレゼントだよ」

 笑顔で言ってのける宗也とは対象的に、結奈の表情は固まっていた。

「いつのまに…………」

「さっき羽衣のプレゼントを買ったときにね」

「ぜんぜん気づかなかった」

「びっくりした?」

「……したわ」

「よかった。結奈ちゃんは良く気が付くから、サプライズできるか不安だったんだよね」

 してやったり感のある微笑みは、結奈の心を的確にとらえていた。嬉しさと悔しさが同居するような複雑な表情だったが、結奈の口から出てきた言葉は素直なものだった。

「あ、ありがと。でも、私はなにも用意していないのだけれど」

「またなにかあったときに付き合ってくれれば、それでいいよ」

 宗也は屈託のない笑顔で言った。

 動揺の続く結奈は深呼吸をして少し冷静さを取りもどす。

「そうね。私にできることなら協力するわ」

 かすかに笑ってくれた結奈をみて、宗也はひと安心した。

「それじゃあ帰らなきゃ。またね、結奈ちゃん」

「ええ、またこんどね」

 結奈に見送られながら、宗也は急ぎ家路につくのだった。


 宗也が去ったあと、結奈は一人きらびやかなな街中にたたずむ。

 渡された紙袋の重みが気になり、その場でテープをはずして開けてみた。

「これは……」

 取り出したのは雪だるまのオーナメントだった。なにかのキャラクターかと思われるデフォルメされたビジュアルに、ゆるキャラを狙ったかのような派手な色合い。描かれている表情は身体が溶けているせいか、苦痛に歪んだしかめっ面をしている。

「あいかわらずセンスを疑うわね」

 毒づいてみてはいるが、結奈の口元は緩み、薄く笑みを浮かべていた。