はなびらは舞う

 俺のお祖父さんの、そのまたお祖父さんが、まだ子供だった頃、この国には魔法があったという。

 火を熾し、井戸水を湧き上がらせ、荒地に草木を生やし、天候を支配して豊かな風土を育んでいった。魔法の恩恵に肖ろうとこの国に移り住む人々が増えてゆき、いつしか隣国をはるかに上回る大国となっていた。

 それが俺らが子供のころに習うこの国の歴史。でも、いまではもう魔法なんてものは、教本に書かれたお伽噺で、過去の遺産。誰もが知っていて、誰も見たことがないもの。

 それでも皆は口をそろえてこう言うんだ。


『魔法があったらいいのに』


 魔法というものは、たとえ言葉だけの存在になっても、それほどに人の心を惹きつけ魅了するなにかがある。

 そして、俺も幼いながらにこう思ったことがある。魔法が使えたら何をしようかな、と…………。


  ◆ ◆ ◆


「どいてくれぇええーー!」

 俺は叫んだ。叫びながら昼飯時の商店街を全速力で駆け抜けていた。往来する人たちにぶつかりそうになるのを寸前でかわし、足がもつれそうになるのをなんとか踏ん張る。

「ごめんよっ!」

 ずれたゴーグルを直して振り返らず走る。この格好はきらびやかなこの町の中じゃ隠れきれない。早くここから脱出しないと。また牢屋にぶち込まれるのはごめんだ。

 息を乱しながら走り続ける。目抜き通りを過ぎると徐々に人が少なくなってきて、気が付くと第二の門まで来ていた。けさ見たときと変わらず重厚な門は固く閉ざされている。

 俺は迷わず左に曲がり、城壁に沿って再び駆け出す。そして目指していた城壁の切れ目を見つける。

 子供がなんとか通り抜けれる程度の亀裂だ。ここまで来て身にまとう外套の内ポケットを調べる。しまったものを落としていないか確認した。大丈夫だ、ちゃんとある。袖のない外套を手早く脱ぎ、丸めて亀裂の向こうへほうった。

「そこの少年! 待ちなさい!」

 走ってきた方向から低い声が響いて、ふと目をやるとさっきの番兵の姿が見えた。あの装備でどうして追いつけるんだよ!

「まじかよっ」

 ゴーグルを外して首にさげる。そして身を縮めて亀裂に身体を押し込み、ずりずりともがいてなんとか通り抜ける。拾い上げた外套についた土を払いながら振り返ると、亀裂から番兵がこっちを覗いていた。

「待て! 盗んだものを返しなさい。いまなら悪いようにはしない」

 短い白髪で髭面の番兵は息ひとつ乱していない。これは、一歩間違えれば捕まっていたかもな……。

 番兵はこちらに呼びかけ続けているけど、俺はだんまりを決め込み、ゆっくり後ずさる。うっかり背中を向けたら銃でズドンだ。

 俺は距離を置いて狙われていないことを確認してから、外套を着なおして中層地区に帰っていった。




 広場まで戻るといつもの露店がちらほら営業していた。といっても客足は少なく閑散としている。見慣れた光景だけど、さっきまでいた高層地区の目抜き通りの喧噪が耳に残っていて、いっそう寂しく感じた。

 寝床にしている宿に戻ると、待ち構えていたようなリズが俺を睨みつけてきた。襟に花弁の刺繍がはいったお揃いの外套を翻して、俺に詰め寄る。

「スレン! きょうは低層の手伝いにいく約束でしょ! どこにいたのよ!」

「大声だすなよ。さっきの稼ぎを聞きたくないのか?」

「稼ぎって……あなたまさか、また高層に行ったのね? この前捕まって痛い目みたじゃないの」

「だからだよ。やられっぱなしは性にあわねぇからな。心配すんなって、今回はしっかりいただいてきたからさ」

 俺は外套の内ポケットから、紐で口を縛ってある小袋を取り出す。それから中身を一つ取り出して見せる。

「見てみろよ、この輝き! こんな高そうな宝石置いてるくせに警備はすっかすかなんだから笑っちまうよ」

 リズはため息を吐いて頭を抱える。どうしたんだ? 宝石の眩しさに目が眩んだのか?

「その手薄な警備の中に意気揚々と侵入して、あっさり捕まったのはどこの誰だったかしら?」

「ばっか、おまえ、あれは向こうが囮なんて卑怯な手を使ってきたからだ!」

「あっちも泥棒に卑怯なんていわれるとは思ってないでしょうね」

「泥棒じゃねぇ! 貸してるものを返してもらってるだけだ。いいかよく聞け」

「やめてよ、またその話?」

「俺ら中層地区の住民が収益の一部を高層地区に上納しているのは知っての通り。その中には上層が行う低層地区の管理費用も含まれている。にも関わらず、低層地区の管理を俺ら中層民に押し付けているのが現状だ」

「それは高層から低層への連絡通路が崩落して、低層へいけなくなったからでしょう」

「連絡通路が使えなくても、門を開けて中層を通ればすむことだ」

「門を開けるのは非常事態のときだけって決まりがある」

「つまり低層にいけなくなるは非常事態じゃないってことだろ? あの贅沢な連中は自分より下のやつらのことなんか、これっぽっちも気にしちゃいないんだ。だから折れた矢を捨てるようにあっさり見捨てる」

「スレンのいいたいことはわかるよ。わかるけど、でもわたしたちはこの中層にいる限り、それに従うしかないんだよ」

 リズの諦めたような口ぶり。違う、それは間違っている。

「聞いてくれ、リズ。俺がそれを変えてみせる。あんな城門なんかぶっ壊して、俺らの存在を認めさせてやる。だからそれができたら、俺といっしょに暮らそう!」

「スレン…………わかったから、いまはいっしょに低層に行きましょうね」

「そうだな!」

 まずは約束を守るとこからだと自分に言い聞かせ、俺は気を取り直してリズと共に低層地区へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


 翌日。宿のベッドで目を覚ますと、階下のざわつきが耳にはいってきた。あの絡むような声は、どうやらザハさんが誰かと口論しているようだ。

 こげ茶色の外套を着込み、ゴーグルを手に取る。まだ眠い頭を揺り起こしながら部屋を出た。

 廊下からちらりと階段の下を覗き込むと、白髪で髭面の番兵が二人の部下を伴っているのが見えた。きのうの男だ。うしろの部下は武装していて銃も持っている。

 思ったよりも早く現れたことに少し動揺した。とはいえ、隠れる気はない。短く深呼吸をしてから、騒ぎを止めにおりた。




「スレンという少年がいるのはわかっている。呼び出さないのなら、各部屋を調べさせてもらう」

「何度も言わせないでよ! うちは客を売ったりしないの。部屋にはいるんだったらちゃんと代金払ってもらうわよ!」

「ちょっとザハさん。金もらったら客の部屋にいれるってのは売ったことにならないのかよ」

「やっと起きたのね、スレン。 あんたねぇ、うちに揉め事を持ち込むなら追い出すっていったわよね?」

「それは勘弁してほしい、ほかにいくとこがないんだよ」

 階段をおりる俺の姿をとらえて、うしろの部下が銃を構える。

「あれ、きのうの番兵さんじゃん。こんなみすぼらしいところになにしにきたの?」

 俺はやや煽るように悪びれない態度をとってみるが、白髪のおっさんは極めて冷静だった。

「きょうは逃げないのだな」

「追われる覚えがないもんでね」

 白髪のおっさんは俺を睨むように見据える。でも敵意はまるで感じない。少なくとも盗っ人をみる目ではないように思える。

 ややあって、変わらない落ち着いた口調で話す。

「盗んだものを返しなさい」

「あんたまた盗みなんかしたの? いつまでもそんなことしてたらいい男にならないわよ」

 ザハさんはちょっと口を挟まないでほしい。

「盗んだものって?」

 とぼけてみてるが、おっさんは答えない。ただ無言の圧力をかけるだけだった。

 ため息をつき観念したフリをして、外套のポケットから小袋を取り出す。それをおっさんに向けてほうった。

 おっさんはうまいことキャッチしてそれをまじまじと眺める。手の感触で中身がわかるのか、袋を開けようとはしない。

「これで全部じゃないだろう」

「宝石はそれで全部だよ。数えてみればいい」

 おっさんは俺を見たまま動かない。やがて、これ以上の問答は無駄だと考えたのか、

「どうやらきみに聞いても意味がないようだ」

 そう言うとの同時に、後ろの部下に手で合図をだした。二人は機敏な動作で宿から出ていく。おとなしく帰るのかと思ったら、おっさんは残ったままだ。

「ちょっと、用がすんだならあんたも帰ってちょうだい」

 いいぞザハさん、もっと言ってやれ。

「宿屋のご主人には悪いが、まだやることがある」

「なんだよ、まだ俺に文句があんのかよ」

「いや、きみとの会話はもう終わりだ」

「おい……まさか……ザハさんを口説こうってのか? 番兵さんもそっちの趣味なのか?」

「ちょっと! あたしはお断りよ。髭面の男はきらいなの」

 自分が髭面なのに何をいっているんだ。

「安心しろ、そんな趣味はない」

 おっさんは表情を変えず真顔で答えた。

 ちょっと感情を揺さぶってやろうと冗談をいってみたけど、冗談は通じないらしい。城に仕える連中はどいつも生真面目なやつらばっかりだな。さっきから煽ってはみるけどまったく効果がない。一筋縄ではいかなそうだ。

「きみは盗みをする愚か者だが、馬鹿ではないようだ。それだけ堂々としているのだから、盗んだものは手元にないのだろう。すぐには手が出せないところに隠したのか。ともかく、それならば私も頭を使おう」

 ふと、外から聞き覚えのある声がした。耳に馴染んだその声に、俺は嫌な気配を感じる。

 やがて宿に入ってきたのは、さきほど出て行った二人の部下と、そいつらに引き連れられたリズだった。

「離してよ! わたしがなにをしたっていうのよ!」

「リズっ……」

 駆け寄ろうとしたら、おっさんが俺の前に立ちはだかる。

「おっと、盗んだものを返すまで彼女はこちらで預かる」

「なにが頭を使うだ。ただの脅迫じゃないか」

「交換条件だ。無理難題ではない。ただ返せばいい、それだけだ」

「そんな話、聞くと思うのか?」

「……期限は陽が沈むまでだ」

 そう言っておっさんは後ろを向き、部下に指示をだしてリズを連れ出そうとする。

「スレン! なんだか知らないけど、しくじったらひどいわよ!」

 俺にむかって叫ぶリズはずるずると引きずられていった。頼むからおとなしくしていてほしい。

 あとを追うおっさんの後ろ姿に声を投げつける。

「まてよおっさん」

「私はロークだ」

 おっさんは振り返りそう答えた。

「名前なんか興味ねぇよ。期限までに返さなかったら、リズをどうするんだ」

「返さなかった時の心配をするぐらいなら、返しなさい。それで済むことだ」

「それで済まないと思ってるから心配してるんだよ」

「…………陽が沈むまでだ」

 ロークは去り際に俺を一瞥して、宿を出て行った。

「ザハさん、あいつらって門を開けてはいってきたの?」

「えぇ、そうみたいよ。露天商が騒いでいたわ」

 それなら安心した。わざわざ門を開けてきたのなら、俺の知らない抜け道はないということだ。裏をかかれる心配はとりあえずないと考えていい。

「それよりスレン。リズちゃんをあんな目にあわせて、あんた覚悟できてるんでしょうね?」

 ザハさんが神妙な面持ちで聞いてきた。

「もちろん覚悟はしてるよ。でも、リズには悪いけどその前にやることがある。ザハさん、預けといたやつ出して」

「使うつもりなの? 慣れないものはやめたほうがいいわよ」

「だいじょうぶだって。使い方はわかってるし、それに」

 俺はにやりと笑ってみせる。

「やられっぱなしは性に合わないんだよね」




 日が傾いてきた。あと一時間もすれば太陽は見えなくなる。

 高層地区は文字通り丘の上にある。扇状の緩やかな丘陵にあるこの国の頂上には豪奢な家々が並んでいる。

 中層からは見上げる形になるため、こうやって宿の屋根に立ってみても、城壁に阻まれて内部を窺うことはできない。

 ザハさんに出してもらった二個の閃光弾は専用のベルトに収めてある。むかしに行商人から買った代物だ。なんでも軍隊という戦闘組織が使うもので、攪乱に使われるそうだ。どれほど効果があるかは、試していないからわからない。数が限られている以上、試し打ちも無駄打ちもできない。

 軽さと速さを信条にしているから、武器はナイフが数本だけ。城には弓兵がいるだろうけど、それよりも問題なのはあの銃だ。どんな仕組みかしらないけど、鉛玉をとんでもない威力で打ち出してくる。大砲の縮小版といった感じだ。

 この国にそんな技術はない。この閃光弾のように外から仕入れたものだろう。その数も多くはないみたいで、王の側近くらいしか所持していなかった。さっきの二人は銃を持っていたけど、側近じゃない。とすると、

「こいつをどうしても取り返したくて、確実な手段できたってとこか」

 外套のもう片方のポケットから一枚の羽根を取り出す。

 この羽根がなにか。その正体は半信半疑だったけど、あのおっさんが門を開けてまでここにやってきたこと考えると、疑う余地はなくなった。

「門を開けるのは非常事態のときだけ……か」

 どうやらこの一枚の羽根がなくなったのは、そうとうな事件ということだ。…………。

 夕焼けに染まる街並みを見納めて、気持ちを集中する。

 意を決して、聳える城壁へと立ち向かった。




 きのうと同じように亀裂を通り抜けて、高層地区へと侵入した。

 あのおっさんが話をつけているだろうから、門番に言えば普通に入れると思うけど、そんな捕まりにいくようなまねはしない。

 陰から陰へ移動して人目を避ける。城へのルートはいくつかあるけど、あえてきのうと同じルートをとった。

 城門まできたところで異変に気が付いた。哨兵がみあたらない。

 白髪で髭面の番兵、ロークがいないのはリズを見張っているからだと思うけど、監視塔にいるはずの弓兵の姿もない。俺がくることはわかっているはずなのに、きのう盗みに入ったときよりも警備が手薄だ。もはや警戒していないといってもいい。

「罠だよなぁ」

 この中に侵入するのはとても気が進まない。とはいえ悠長に考えている時間はない。ひとけが少なくなる日暮れぎりぎりまで待ったんだ。一時間もしないうちに時間切れになっちまう。

「やるしかない……!」

 俺はゴーグルを装着する。あらためて周囲に意識を向けて見られていないかを確認する。そして姿勢を低くしたまま城門まで駆ける。ぴったりと門によりそい、中の気配を探る。ひとけはないと感じ、門をゆっくり押し開けた。

 ちらりと覗き込み、もう一度気配を探る。無人なのを確かめいっきに城内へ入り込んだ。

 支柱と壁に身を隠しながら地下の牢屋へと進む。捕まったのは一度だけだったが、はっきり覚えている道のりを迷うことなく駆ける。二度目の角まできて歩調を緩める。

「やっぱり変だな……」

 ここまで誰の姿も見ていない。まるで城の中に誰もいないみたいだ。リズが城の地下ではなく、別の場所にいる可能性がでてきたな。もしそうならかなりまずい。違う場所を探してる時間はない。

「……っと」

 牢屋まであと少しというところで声が聞こえてきた。聞き間違えるはずもない、リズの声だ。

 心配は杞憂だったけど、様子がおかしい。リズのことだから、てっきり抗議に声を荒げていると思ったのに、どうやら誰かと話しているみたいだ。

 リズの声はいたって平静で会話を楽しんでいるようにも思えた。ただ相手の声は聞こえない。ひとりごとか? 来るのが遅すぎて寂しくておかしくなっちまったか?

 足音がしないように細心の注意をはらって近づく。だんだんはっきりと聞こえてくるリズの声は、やはり誰かと会話している感じだ。

 牢屋の入り口まできて、気配を探る。リズのほかに誰かいる。一人だ。殺気の類は感じない。あの威圧感たっぷりのおっさんじゃないのか?

 考えるのも数秒。相手が一人なら倒す自信は十分にある。臆するな。

 リズの声が響いていて、わずかな音なら聞こえないだろう。腰のナイフに手をかける。

 一息。

 壁から身をはがしなかへ飛び込む。

「…………っ!」

 瞬間、踏み込んだ足が止まり身体が硬直する。数メートルさきにいたはずの気配が、いまは俺のすぐ隣にいる。その手に握られた長剣の切っ先は俺の胴をとらえている。あのまま駆けていたらあっさり俺の腹を貫いていた。

 流れる冷や汗に意識が繋がる。

「おっさん……なにしやがった」

 下手に動くことができず、踏み込みの態勢のまま問いかける。

「盗っ人だけあって気配を消すのがうまいようだが、殺気のほうはまだまだだ」

「ばれてたってわけね……」

「右手をナイフからはなすんだ」

 俺は言われた通りに右手を外套の下からだした。

「左手はいいのかい?」

「この期におよんで虚勢を張る胆力は認めるが、時間の無駄だ」

 ロークは冷たく言い放つと、切っ先を引いた。身体の緊張が解けて、ゆっくりとちからが抜けていく。

「ずいぶんあっさり解放するんだな。背まで向けちゃって、俺を甘く見すぎじゃない?」

「きみは勝算のない勝負をするほど馬鹿じゃないだろう」

「そうとも限らないかもよ」

 ちくしょう。よくわかってんじゃねぇか。俺に勝ち目があるとしたら不意打ちしかなかった。それも失敗したいま、無理をしてもリズを危険にさらすだけだ。

 ロークはリズのいる牢の前のイスに腰を下ろした。すっかり牙を抜かれた俺は、観念しておっさんに歩み寄る。

「スレン」

 さっきまでぺらぺら喋っていた声が俺を呼ぶ。

「リズ。おまえこのおっさんに協力したな」

 牢の中、藁の上にちょこんと座っているリズに投げやりに問う。

「なんのこと?」

「一人でしゃべってたろ。あたかもおっさんの注意がそっちにあるようにみせかけるために」

「あぁー違うよ。わたしがスレンの気配に気付くわけないでしょ? 退屈だからロークさんに話し相手になってもらおうと思ったんだけど、ぜんぜん答えてくれないだもん」

 リズが不満そうに口をとがらせる。

「それで一人でべらべらしゃべってたのか? おっさんにむかって?」

「牢屋ってひまなのよ」

 俺は申し訳ない気持ちと同情から、おっさんに声をかける。

「連れがすまなかった」

「気にするな、たいしたことじゃない」

「ちょっと、どっちの味方なのよ! だいたいくるのが遅すぎないかしら?」

 憤るリズを無視しつつも、おっさんが言葉尻に便乗してきた。

「ずいぶん遅かったが、低層地区のどこに隠していたんだ」

「……なんで低層なんだよ」

「彼女が話してくれた。きみはここで盗みをしたあと彼女と二人で低層地区に行ったんだろう? 連絡通路がない以上、嫌厭されてる低層地区に隠すのがもっとも安全だ」

「しゃべりすぎじゃないか……?」

 リズに視線を投げつける。

「ふーんだ。しらないっ」

 ぷいとそっぽを向いていじけて見せた。やれやれ、リズにはあとで謝るとして、問題はこっちだ。

「そんで、おっさんの狙いはなんなんだ?」

「……なにがいいたい」

「外にも中にも哨兵の姿が影も形もない。まっすぐここまできたから確かじゃないけど、たぶんほかの場所にも誰もいないんだろ? いるとしたらあのクズ王だけだろう。あれが城からでるとは思えないし。とにかく、あんたはひとめに付かないように俺をここへ誘い込んだ。人質のリズがこんだけ騒いでもお咎めなしときてる。そういう状況でだ、いまさら俺たちに危害を加えるとは思えない」

「さっきは危なかったがな」

 おっさんはふっと笑みを浮かべた。

「あれは正直あせったよ」

 つられて俺の口もゆるんだ。

 するとおっさんは上着のポケットから取り出したものを俺に抛った。俺は右手で受け損ない、とっさに左手でつかんだ。

「カギ?」

「牢のカギだ。さぁ、持ってきたものを返してもらおう」

 ロークの表情はさっきまでの鉄面皮にもどっている。それをみてガッカリしている俺がいた。

「なんだよ、ちょっといいやつかなって思ってたとこなのに。結局はあのクズのいいなりかよ」

「心配するな。きみたちの安全は保障する。おとなしくしていればだが」

 そう言ってロークは手を差し出す。

「…………さっきの質問に答えてなかったよな」

 おっさんは眉をひそめる。こっちの意図を探ろうとしている。

「低層のどこに隠したかだっけ。残念でした、俺はどこにも隠しちゃいないよ。最初からずっとここにしまってたあったんだよねー」

 俺は外套を広げ内側のポケットをさす。

 それを聞き、ロークが立ち上がって近づこうとする。俺は外套をとじて半歩下がる。

「リズがさきだ」

「……わかった」

 ロークは静かに壁際までさがって俺たちを見張る。

 俺は慎重に牢に近づいてから開錠、扉を引いた。

「いつまでいじけてるんだよ。帰るぞリズ」

 リズは膝を抱えて外套の襟に顔を埋めたままだ。

「……ところでおっさん、俺はコレをずっと持っていたわけだから、遅くなったのは低層まで往復したからじゃない。それはわかるよな?」

 もったいぶるように背中越しに語りかける。

「では遅くなった原因はいったいなんでしょうか?」

「ひとけが少なくなるのを待っていたんだろう」

「それもあるけど、もっと大事な理由があるんだなー」

「…………」

「正解は――」

 そこまでいいかけて、俺は鉄の塊のピンを抜いて手を離した。外套の内側から、つまりロークの死角からあらわれた閃光弾は、石畳の床に落ちて金属音を響かせた。

 次の瞬間、激しい閃光が牢屋を照らした。目を閉じていてもその強烈な光によるダメージはすさまじく、すぐにまぶたをあけることができないほどだった。

 不意を突かれたロークも同じはずだ。あの一瞬ではいかに熟練の兵士とはいえ顔を覆うことすらできない。

 この場にいる俺とロークは目を奪われた。

 でもこの場にはもう一人いる。ずっと顔を附していてこの閃光をまぬがれたやつが。そいつが俺を導いてくれる。

「リィザ!!」

 俺の合図とともにリズが動く気配がした。手を握られる感覚に引っ張られ、見えない姿のあとに続いた。

「しくじるなっていったじゃんか! ばか!」

「しょうがないだろ、あんなに強いとは思わなかったんだ」

「またそんな言い訳して。わたしを守れないんだったらお別れよ」

「もっと精進するよ」




 リズに手を引かれて時折止まりながらしばらく駆ける。だんだん視力が回復してきて、うっすらと状況が見えてきた。

 地下からはあがって広間の付近まできていた。城門まではもう少しだけど、そのまま外にでたらいよいよ撃たれるかもしれない。陽が落ちて暗くなっているとはいえ、堂々と姿をみせるのは綱渡りすぎる。

「リズ、もう大丈夫。助かった」

 こっちを向いて俺の姿を確認してから、リズはあっさり手を離した。

「じゃああとはまかせたわよ」

「おいおい、投げやるなよ」

「わたしは助けられる側なんだけど」

「いやもう助けられたじゃん。いまからは逃げるがわで俺と同じだろ」

「細かいことはいいから急ぎなさい。追いつかれるわよ」

 たしかにどう考えても俺が悪いんだけど、なんだか釈然としない。やっぱり謝るのはなしだ。

「こうなったら使ってみるしかないか……」

「スレン?」

 外套のポケットに手を入れ、一枚の羽根を取り出す。なにも変わったところはない、ただの羽根。何の羽根かはわからないが、重要な秘密があるはず。

「その羽根がどうかしたの?」

「これは魔法の羽根だよ」

「……さっき走った拍子に頭でも打ったかしら」

「なんだよその可哀想な子を見る目は! 俺は正気だ」

「そう? じゃあ続けて」

「いや、続くような話でもないんだけど。おまえもこの国の歴史はしってるだろ」

「魔法が国を豊かにしたってやつ? あんなのおとぎ話じゃない」

「そうじゃなかったってことだよ。これはたぶんその魔法の名残りだ。ちからは衰えているかもしれないけど、きっと魔法が使える! これを使えばあのクズ王を引きずりおろして、この国を変えることができるんだよ!」

 こんな状況で熱く語っている余裕などないとわかっているけど、俺の想いは止まらなかった。

「魔法が使える回数は残り少ないかもしれないから、できれば使いたくないけど、ここを抜け出すにはこれに頼るしかなさそうだ」

 リズの視線はあいかわらず冷めたものだった。

「スレン、あなた……ここから抜け出す方法は考えてきてなかったのね」

「考えてきたさ! あのおっさんをぶっ倒してこっちのいうことを聞かせる。それで安全に帰れたはずだったんだ」

「それがみごとに失敗して、こうして逃げ場を失くしてるわけだけど、なにかいいたいことは?」

「…………運が悪かった」

「…………お別れね」

「なんでだよ!」

「うるっさい! もういい、わたしにまかせなさい。それ貸して」

 リズは俺の持つ羽根に手を伸ばした。

「魔法なんて信じてないんだろ?」

 俺は手を引いた。

「いいからわたしに貸しなさい。ぜったい大丈夫だから」

「うぐっ……」

 その言葉を言われてしまったらもう俺に反論できることはない。

「わたしがぜったい大丈夫っていって、失敗したことがある?」

「……ねぇよ」

「じゃあ貸して。ほらっ」

 俺は諦めて、握りしめていた羽根を手放しリズに渡した。

「ふぅん。これが魔法の羽根ねぇ。ただの羽根にしかみえないけど」

「それで、どうするんだよ」

 いったい何をするつもりなのか。少しの好奇心とともにリズの行動を見守る。

「こうするのよ」

 リズはゆっくりとうしろへ下がっていく。来た道を戻るように後ずさる。

 そこでやっとうしろから迫っていた気配に気づいた。いや、気づかされたというべきか。

 通路の陰から白髪で髭面の男が姿を現す。

「はいこれ」

 リズはおっさんのほうへ向き直り、羽根を渡した。

「ありがとう。これでなにもかもうまくいく」

「いいのよ。これがこの国のためになるんだもの」

 目を疑った。

 なんだこれは。

 どうなってる。

 俺は胸が締め付けられるような気分で、なんとか言葉を振り絞る。

「リィザ……どういうことだよ…………」

「聞いてスレン。じつは」

 リズの言葉を遮るようにおっさんが手をかざす。

「私が説明しよう」

「……してみろよ」

 俺はロークの死角、外套の下でゆっくりとナイフに手を回した。

「私が彼女に頼んだんだ。きみが持っている盗んだもの、グリフィンの羽根を取り返してくれと」

 ナイフが収まっているホルダーの留め具をはずす。

「きみはその羽根がなにかわからないままついでに盗んだようだが、もうどんなものか察しはついているだろう」

 柄を逆手でつかみ強く握る。

「グリフィンはかつて生息していた魔力を持った生き物だ。獅子の胴体に怪鳥の翼と上半身をもった強力な魔法を使う怪物で、いまでは絶滅したとされている」

 視線をはずさないように間合いを計る。

「その羽根にはグリフィンの魔力が残留していて、それゆえ大きくはないが魔法を使える。歴代の王はそれを利用してきた」

「違うんだよなぁー。俺が聞きたいのはそんなことじゃないんだ――よ!!」

 腰を落としてやや前傾姿勢をとり、脚をバネのように伸縮させて強く踏み込み、床を蹴りつけた。

 身体が浮くように感じた瞬間には、おっさんの屈強な身体が眼前に迫る。同時に抜いていたナイフを喉元めがけて振り上げた。

 ガキン! と鈍い音が響く。

 ロークは鞘から半分抜いた長剣でナイフを受けきっている。その目は宿で会った時と同じで俺ではない別のなにかを見ているようだった。

 俺たちはお互いに譲らず、ナイフを持つ手が震える。

「どうしてリズがあんたのいうことを聞いているのか、それは説明できねぇのかよ!」

「私に脅されたとは考えないのか」

 長剣でナイフを押し返されて距離を取らされる。

 一度感情を爆発させたおかげか、少し冷静さを取り戻し、頭を働かせる。

「ありえねぇよ。リズは納得したことしかやらないやつだ。だからリズが自分からあんたに協力するような理由が、なにかあるはずだ。それを説明してみろっていってんだよ、おっさん」

 やはり戦意は感じ取れない。だが油断はしない。殺気を消すくらい簡単にできるやつだ。

 ナイフを純手に持ち直して警戒を続ける。

 ロークは抜ききった長剣を再び鞘に戻す。

「…………いずれわかる」

 イラつかせる天才かよ。

「おいおい、寝ぼけてんじゃねぇよ。そのうちわかりますなんて話があるかよ。いますぐだ!」

「スレン。落ち着いて聞きなさい」

 我慢できなくなったのか、リズが前へ出た。

「リズ。どうしてそっちにいるんだ。最初からそっち側だなんていわないよな」

「そんなわけないでしょう。低層にいたころからずっとあなたといっしょだった。ここにきたことだってないわ」

「だったらどうして」

 リズは少しだけ言い淀む。

「わたしも、はじめは信じられなかったのよ。でも聞いているうちに、ロークさんの話は間違いないって思った。この国のためだから、協力したの」

「そうかよ……。リズもあのクズのために動こうってわけだ」

「それはちがうわ。ロークさん、もう話してもいいでしょう。わたしが気づいた以上、隠す必要なんてないわ」

「なんの話だよ」

 リズはロークを見つめている。自然と俺の視線もロークに寄せられた。

「……わかった、話そう」

 諦めたのか、それともリズのしつこさに呆れたのか、ロークは語りだす。


  ◆ ◆ ◆


 ローク・ジークロンとリル・ジークロンの兄妹は高層地区に暮らしていた。

 両親はすでにいなかったが豊富な財産を残していたため、二人はそのまま高層地区での生活を続けている。

 二人は十も年が離れていたがとても仲睦まじく、とくに兄のロークは妹のリルをほんとうに可愛がっていた。

 成人して十余年。兄であり、保護者でもあるロークは躍起になって金を稼いでいた。

 妹が流行り病にかかってしまったのである。この国の医療技術は優れていたが、それに比例して治療費は天井知らずだった。

 もともと体が弱いせいなのか、リルの病状はなかなかよくならない。だからといって治療をやめることなんてできない。

 ロークは治療費を稼ぐためにどんなことでもやってみせた。

 レストランの厨房で料理の腕をふるうこともあれば、バーテンダーとしてお客との小粋なトークもしてみせる。あるときは城壁の補修作業に汗を流し、近くの森に出没する害獣の討伐もやったころがある。

 ある日、その節操のない仕事ぶりが王の耳に入ったらしく、ロークは城へと呼び出された。

 王は聞いた。「なぜそのように生き急ぐのか」と。

 ロークは妹がいること、そして病に臥していることを説明した。

 それを聞いた王はしばし思案して、その妹に会わせろと言ってきた。

 意図がわからないロークはためらった。しかし王の命とあれば簡単に断れることではない。不承不承引き受け、家へと案内した。

 ロークの帰宅にベッドから体を起こし顔を明るくするリルだったが、その後ろにいる男たちの姿をみてすぐに表情が曇った。王とその側近の兵。王の顔は知っていてもほとんど関わりのないリルにとっては、不敵に笑みを浮かべる大柄の男はひたすらに恐怖だった。

 王はリルを一目見て気に入ったらしく、最初こそうやうやしい挨拶をしてみせたが、次いででた言葉は求婚のそれに違わなかった。

 ロークは慌てて間に割って入る。「そんなつもりでここに来たのならお引き取りください」ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込み、慎重に言葉を並べた。

 ところが王に引く気はまったくないようで、こんどは条件をだしてきた。「私もとにくるのならより高度な治療を約束しよう。もちろん、無償でた。当然だろう、私のものとなるのだから」

 気付けばロークは拳を握りしめ振り上げようとしていた。しかしそれをさせなかったのはリルの手だった。つかまれた手のやわらかい温もりに我を取り戻す。唇を噛みしめ、怒りを言葉とともに飲み込んだ。

 ロークの血走るような眼を受けても、王は気に留める様子もなく、その態度は変わらず下等なそれを見るようだった。

 ややあってリルが口を開いた。「一つお願いがあります。兄をお城で働かせてあげてください。それを聞いていただけるなら、わたくしは城へいきます。兄の近くに居たいのです」

 淀みなくはっきりとした声。かすかに震えていたことに気づいたのはロークだけだった。

 王はリルの申し出を承諾した。明朝迎えをやるとだけいって、王は側近を連れてでていった。

 ロークはベッドに座りうつむいているリルに向き直ったが「わたしは大丈夫だから。兄さんのそばに居られるならどこだって平気よ」そう言われてしまい、返す言葉がみつからなかった。




 それから数年が経ち、リルは双子を産んでいた。リルの病気は快復していなかったものの、生まれてきた子供はすこぶる元気だった。

 男の子と女の子の兄妹は、城で育てられていたが、公に発表はされていない。その理由を、ロークは夜警のときに知るのだった。

 王は他の女と逢い引きをしていた。人目を盗み愛人を招き入れていたのだ。

 ロークはその事実を知りながら、どうすることもできなかった。どんなに無能な人間でも、王という肩書きは伊達ではない。その口一つでロークはもちろん、リルも国から追い出されることになりかねない。

 そう思っていた矢先、リルが王の愛人に気付いてしまった。

 リルは怒りこそしなかったものの、その態度は冷え切ったもので、城を出ていくといった。

 しかし王が許すわけもなく、たちまち問題となる。

 口論の末に王は、リルと子供を低層地区に幽閉することにした。低層地区には医療施設がない。そうなっては病気のリルはたちまち死んでしまう。ロークは王に抗議するとリルに言うが、彼女はうんと言わない。

「どのみちわたしは長くはないわ。わたしよりも子供たちをお願い。父親もいない、母親もいなくなってしまう。そのうえ兄さんまでいなくなってしまっては、この子たちは誰を頼ればいいの。だから――」

 低層地区に移されて数ヶ月後、リルは静かに眠りについた。

 ロークは必要な経費をすべて請け負うことを条件に、幼い双子を低層地区のちいさな施設に預けた。

 そうして、ひとりになったロークは、心に誓う。

 あの王を許しはしない。

 絶対に許してはいけない。

 必ず、報いを受けさせる。

 絶対に…………。

 必ず…………。


  ◆ ◆ ◆


 長い沈黙。

「きみが王を目の敵にしている理由はわかっていた。どうやってそのことを知ったのかはわからないが。彼女も母親のことしか記憶にないようだったしな」

「お母さんが病気で死んだのはうっすらと覚えてる。でもまさか父親があの王だなんて」

「リズ。あれは、俺たちの、父親じゃない」

 思考がまとまらないなかでも、リズが口走った言葉を本能的に否定した。

「おっさん。母上が病気で死んだのはよく覚えてる。その点については信じることができる。でもあんたが母上の兄妹だっていうのは信じられない」

「シロツメクサ」

 おっさんは唐突に言い放った。俺は思わず聞き返す。

「なんだって……?」

「きみたちがいつも着ている揃いの外套の襟にある花弁の刺繍。シロツメクサの花だ。リルが好きだった花で、きみたちのために縫ったものだ」

 この花弁の意味は俺もリズも知ってる。でも誰にも話しちゃいない。…………。

「ほんとうに――母上の兄妹なのか?」

「……そうだ。話すつもりはなかった。知らなくていいことだ」

「でもわたしと話しているうちにうっかり口が滑っちゃったのよね。刺繍のことを知ってたみたいだから、質問攻めにしたら白状したの」

「口が滑ったなんて、おっさんらしくないミスだな」

 おっさんはわずかに顔をそらし視線をはずす。

「自分でも不思議だが、どうやら彼女と話すのがよほどうれしかったようだ」

「それで気が抜けてデレデレしちゃったわけか。まぁ気持ちはわかるさ、俺の自慢の妹だ」

 リズは照れるようにもじもじしていたが、やがてハッとする。

「ちょっとロークさん。だったらどうして途中から黙っちゃったのよ?」

 ロークは気まずそうな面持ちで露骨に顔をそらした。

「しゃべりすぎなんだよ、リズは」

「なによぉー。にぎやかなほうがいいじゃん」

 頬をふくらませるリズを無視して、あらためてロークに問いかける。

「話をもどすぞ。その羽根を使って国をどうする気なんだ」

「その認識は間違っている。いや、私の言葉が足りていないだけか。このグリフィンの羽根は使わない。使わせないというべきか」

「まるでもう魔法にかかってるみたいな口ぶりだな」

「その通りだ。グリフィンは強大な魔力もつ怪物といったが、恐れられていた一番の理由は催眠魔法を使うからだ」

 それを聞いて背筋が凍る。

「この国の民、といっても中層地区の範囲までだが、国民はこの羽根によって催眠魔法にかかっている」

「まてよ。ってことは中層までの連中は全員がいいなりってことか?」

「そこまでではない。気づいていると思うが、この羽根に残された魔力は少ない。それゆえ国民を完璧な催眠状態にするにはいたらない。だが、小さな種を植えることはできる」

「種? 野菜でも栽培するのか?」

 ロークの冷たい視線が俺に突き刺さる。

「じょうだんだよ。怒るなって」

 味方ができたと安心したせいか、緊張感が薄くなっているみたいだ。よくない傾向だな。

「……種を植えてしまえば、必要なときだけいうことを聞かせることができる。いまの上層地区の民は王の命令に背かない、という催眠がかかっている」

「それって、いいなりと何が違うんだ?」

「この催眠は自我を失わないというのがポイントだ。完全に命令を聞く催眠ならそこに意思は発生しないが、これは自分で考えた結果だと錯覚する。つまり、無意識のうちに王の命令に背かない行動をとるようになるんだ。王に従っているわけではないと思っていても、結果的に王の思い通りになっている」

 なんて都合のいい魔法だ。

 いや、そもそも魔法は都合のいいものなんだ。それを利用するものがたとえ善であっても、都合のいい考えには必ず邪心がついてまわる。だから魔法は廃れて無くなったはずなんだ。この羽根がその最後の遺物。

 そこまで考えて、ふとロークを見上げる。

「なあ。俺たちが催眠にかかってないのはなんでだ?」

 俺の疑問にリズがのっかる。

「たしかにそうね。中層地区までだったら、わたしたちも催眠にかかっているはずだわ。いくら自覚がないっていっても、これまでの行動を考えたらかかっているとは思えない」

「それなら理由がある。これがきみたちを守っているんだよ」

 おっさんは隣に立つリズの襟元を指さした。

「この花弁の刺繍? これがなんなの?」

「その刺繍の糸は魔法生物の繊維で紡がれている。その魔力がきみたちを羽根の催眠魔法から守っているんだ」

 俺たちは自分の襟に目を落とす。この刺繍が……?

「まだリルが城できみたちを育てていたころ、外から行商人がやってきたことがあった。その行商人はめずらしい品物を売っていて、城にある銃はその行商人から買い付けたものだ。みたことのない技術で、強力な武器だと兵たちはとても興奮していたのを覚えている。その品物のなかにその糸があった。聞けば絶滅した魔法生物の繊維から紡いだ糸で、それなりの魔力も残っているといっていた。私はそれを密かに買い、リルに持たせた。その時はお守りになると思って渡したんだが、リルはそれを子供たちのために使った。自分がいなくなってもきみたちを守れるように」

 ぐっと刺繍を握りしめる。リズはしゃがみこんで外套に顔をうずめている。小さく震える肩をみて、俺も目に熱いものを感じた。それを誤魔化すようにロークに問いかける。

「行商人って、もしかして、むかしは俺も戦士だったって自慢してるやつだったか?」

「あぁ……そんなことをいっていたな。膝に矢を受けてしまってからは行商に転向したともいっていた」

「やっぱり、俺が閃光弾を買い付けた商人と同じやつだ。そのときも小型の銃がいくつかあったからもしやと思ったんだ。そいつに聞いても、誰に何を売ったかは教えられないとかでわからずじまいだったけど」

「またこの国に来ていたとは知らなかった。それに城に顔を出さないとは不思議だ。まるできみのためにやって来たと言わんばかりだな」

「っておいおい、また話がそれてるぞ。いや、俺のせいなのはわかってる」

 お互いにしばし間を置き、無言の時間が流れる。

 何かがおかしかったのか、ロークの口元が緩んだのを見逃さなかった。

「羽根をどうするかだったな。グリフィンの羽根は王が使って民に催眠をかけている。そのゆえに誰もそれを持ち出すことができなかった。私を含めてな。だが例外だったきみが盗みだした。そのせいなのか一時的に催眠はとかれている。このチャンスを逃すことはできない」

「……なんのチャンスだよ」

 聞くべきか迷ったけど、ここまできて逃げることはできない。

「王を討つ」

 おっさんは静かに、しかし力強く言い放った。

 予想していた答えのはずなのに、じっさいに言葉にされるとひどく動揺している俺がいた。

 王を許すことはできない。そう考えてずっと生きてきた。

 母上のことだけじゃない。この国の惨状を変えるためには、あれが王ではないけない。俺が成り替わろうとは思っていないけど、とにかく、あれが王では何も変わらない。

 だけど、そのために、殺すのか? 人を……。人間を……。

「きみがそんなに深刻に考えることはない」

 ふいに耳に入る穏やかな声。俺は顔をあげる。

「王を討つのは私の役目だ。これから起こることはきみたちの関知することではない。家に帰って眠りについて、目が覚めればすべてが変わっている。それだけだ」

「……っざけんなよ! あんただけの問題じゃねぇんだぞ! これは俺の心の問題なんだ。あいつを許さない。ぜったいに償わせてやる。その思いだけで生きてきたんだ! それを横からでてきたあんたにぜんぶ持っていかれて、納得できるわけないだろ!」

「これは私の贖罪だ。あのとき私はリルのために何もできなかった。それをいまここで贖う」

 揺れない瞳がじっと俺を見据えた。

「ちくしょうが。最後まであんたとはわかりあえないみたいだな」

 逃げるような思いで視線をそらす。

 すると、おっさんがゆるやかな歩みで近づいてくる。そして俺の頭に手をのせた。手袋の硬い感触が頭をなでる。

「きみはこれからも彼女を守っていくんだろう? ならその手を汚してはいけない。汚れるのは私のように失うものがない人間だけで十分だ」

 おっさんはリズに視線をむけ、また俺を見る。

「いま私以外の兵は隣国との戦闘演習に出ている。城には王の側近が数名いるだけだ。側近は銃をもっているだろうが、王と差し違えることぐらいならできる」

 そう言って、ロークは俺たちから後ずさるように離れる。名残を惜しむようにもみえたが、すぐに背を向けて歩き出した。その背中を黙って見送ることしかできない。たまらずリズに声をかける。

「リズ。おっさん行っちまうぞ」

「……どうしろっていうの」

 しゃがんだまますっかりおとなしくなったリズは、赤く腫れた目でこっちをみた。

「おまえはおっさんと打ち解けてたろ。このまま行かせていいのかよ。死ぬ気だぞ、あいつ」

「わかんないよ……。わたしには知らないことがおおすぎて、ぜんぜんわかんないよ……」

 ふさぎ込むように身体をちいさく丸める。

「おにいちゃんが決めて……」

 そう呼ばれたのはひさしぶりだった。最後に聞いたのは施設を出るときだったっけ。これからは二人で生きていくと決めて、自立の第一歩にお互いを名前で呼ぶと決めた。

 そう、俺はリズを守らなきゃいけない。

 だから…………。




 ロークが王のいる広間に入ると、銃を持った側近の三人が王の脇を固める。

「どうした? 盗っ人のガキは捕らえたのか?」

 ロークは機敏な歩調で王の前までくると、片膝をつき頭を下げた。

「いえ、少年は人質を連れて逃走。逃げられました」

「なんだと!? 貴様はなにをしている! 羽根がなければ貴様の首にようはないぞ!」

「ご安心を。少年らは逃げましたが、羽根ここにあります」

 ロークはふところから、淀んだ色のグリフィンの羽根を取り出してみせる。

「おお! なんだ驚かすな。よいよい、これで貴様の首はつながったままだ」

「そうはいきません。この首は差し出そうと思いここへ参ったのです」

「そんなに気負うな。おまえは有能な男だ。羽根が戻ったならガキを取り逃がしたことは見逃してやるとも」

 ロークはおもむろに立ち上がると、羽根を持っていない右手で鞘に収まる長剣を握る。側近は慌てたように銃を構えて、ロークに狙いをつけた。

「そうおっしゃらずどうかこの首をお受け取りください。ですが、かわりに――」

 ゆっくりと、しかし無駄のない動きで長剣を抜く。

「あなたの首をもらう」

 ロークが構えに入る。

 側近は引き金に指をかける。

 王が逃げようとたじろぐ。

 それとタイミングを同じくして、広間の扉が勢いよく開け放たれた。

 緊張が走るなか、それぞれの意識がほんの一瞬奪われる。

 その隙間に縫い込むように一筋の影が踏み込んできた。




 4……。

 ロークは母上との約束を守るためにずっと耐えてきていた。敵といえるあのくそったれの王に頭を下げてきた。どれだけの覚悟が必要だったろうか。

 3……。

 家族もいない。たった独りで過ごしてきた。誰にも認められず、報われない。それをずっと、独りで。

 2……。

 そんなやつをこのまま死なせてやるかよ。あんたにはちゃんと、帰りを待ってる家族がいるってことを教えてやる。

 1……。

 だから――――


 扉に勢いよく体当たりしてぶち破る。

 衝撃が身体を突き抜けるがスピードを落とすことなく駆ける。そしてピンを抜いておいた閃光弾を前方に投げつけた。

「おっさん!!」

 叫ぶのが早いか、ほぼ同時に閃光弾はきらめいた。

 声が間に合ったかはわからない。ロークが伏せるようにしゃがもうとした動作までは目に入ったが、俺の左目もすぐに視界を失う。

 数秒。閃光がおさまったのを感じゴーグルをずり下げ、右目を開ける。ゴーグルの右目部分には黒い布を詰めていたおかげで、右目は閃光からのがれて無事だった。

 片目で側近の位置をとらえて旋風のごとく駆ける。おっさんの脇を走って右側の二人へ飛び込み、銃身を蹴りあげ、続けて顎へむかって掌底を打ち込んだ。

 反対側の残った一人には、腕と脚にむけて手投げナイフを飛ばす。片目では距離感がうまくつかめず脚にはあたらなかった。しかし腕には命中して、側近の男は律儀に構え続けていた銃から手を離した。

 全員の視力が戻るころには、王の喉元にナイフを突きつけていた。

「動くなよ。口も開くな、無駄口はききたくない」

 王は頷くだけで返事をする。その王と対峙していたロークは俺の姿に眉をひそめた。

「なにをしている」

 ロークの声には怒気が含まれていたが、いまさらそんなことでは怯まない。

「おっさん。あんたには失うものがないっていったけど、それは違う! あんたにはリィザがいる。あいつはおっさんのことを家族だって思えたんだ。だから協力した。それに」

 気恥ずかしさに言葉がでなくなるところを、なんとか振り絞る。

「俺だっておっさんに死なれるのは困る! 俺はまだ子供だ。リィザを守ることで精一杯で、正直なところ自分の世話をしてる余裕なんかない。だからおっさんには俺の面倒をみてもらわないと困るし、おっさんにはそれをする義務がある。そうだろ? 俺たちは家族なんだから」

「馬鹿なことを。このままでは二人とも死ぬだけだ」

「それは違う。俺は死なない。おっさんも死なせない」

 俺は左手に持った羽根をみせつける。

 それを見て、ロークは自分の手から羽根がなくなっていることに気付いた。

「さっきの閃光のときか……」

「これを使ってこいつにいうことを聞かせる」

 ナイフを突きつけられている王から安堵の空気が漂った。殺されはしないと思っているのだろう。

「無駄だ。その羽根にはもうそんな魔力は残っていない。意志を覆すようなことにはならない。だからその男は絶命させるしかないんだ」

 ロークは鋭い眼光で王を睨みつけた。安堵していたのもつかの間、王はまたすぐに身を縮こまらせる。

「そうはいかない。おっさんに人殺しなんかさせない。汚れた手じゃ俺たちを守れないだろ」

「ではどうする? その羽根では」

「方法はある」

 俺は羽根を持った手でポケットを探り、二枚の布切れをつかんで取り出す。それには花弁を模した刺繍がしてあった。

「この刺繍は魔法生物の繊維で紡がれた糸で縫われてる。しかもグリフィンの羽根の魔法を防ぐほどの魔力を残してる。ならこの羽根と二枚の刺繍の魔力を合わせれば、一度くらいなら通常の魔法がつかえるはずだ」

「刺繍を切り取ったのか……? どうしてそんなことを……。それはおまえたちの母親が残した――」

「家族のためだからだろうが!」

 堰を切ったようにローウの言葉を遮った。

「……私のためだというのか。こんな私のために」

 ロークは小さくうなだれると、長剣を鞘に納めた。そして顔をあげると、その表情は心なしか晴れ晴れとしてるようにみえた。

「わかった。きみにまかせよう」

「おう。まかせな」

 俺は頷き言葉を交わすと、となりで震えている男に身体を向ける。

「あんたはぜったいに許さない。母上にした仕打ちのことはどんなことをしてでも償ってもらう」

「ふ、ふん。この俺様がいうことを聞くと、お、思っているのか?」

「この状態で強がりをいえるなんて、その胆力は認めるてやるよ。でもな、そのほうが都合がいい」

「ど、どういうことだ」

「なぁにすぐにわかるさ。いや、わからなくなるのか」

 刺繍と羽根を握った左手を胸の前に掲げる。

 刺繍に気持ちを、羽根に想いを籠める。

 やがて握った手から鮮やかな光がわずかにあふれ出す。それは瞬く間に広間を満たして、はじけた。


  ◆ ◆ ◆


 その後の話。

 俺がかけた魔法が効果を発揮して、王の態度はすっかり変わりました。

 地区を分け隔てていた門は開放されて自由に行き来ができるようになり、各階層の貧富の差も少しずつにですが改善されてきています。

 とくに低層地区の管理は王が率先して指揮をとっていて、俺たちがいた施設もずいぶんとよくなりました。

 中層地区は門の開放によって新たにできた交易の中心となって、見違えるような活気に満ちています。

 ザハさんの宿も繁盛していて「帰る場所があるやつに貸す部屋はない」なんていってくれやがって、とうとう追い出されました。

 リズはリズで、世話になっていた老夫婦の家を出る支度をしていて、きょうにでもロークのところへいくと言っています。そう、母上の暮らしていた家へ。

 俺は近くで別の宿でも探そうと思っていたのですが、リズに「おにいちゃんもいっしょに帰るのよ。そういってたでしょ」と言われてしまい、しぶしぶ付いていくことにしました。

 母上の家がイヤだということはないのですが、いまさらおっさん、いえロークといっしょに暮らすというのもなんだか気まずいというか、びみょうな雰囲気なんです。

 でもまぁ、いい機会なのでロークには戦いの訓練をつけてもらうつもりです。そしていつか打ち負かしてみせます。やられっぱなしは性に合わないんです。

 最後になりますが、ひとつ謝ることがあります。

 大切な外套から刺繍を切り取ってしまいました。あとからなんとか縫い付けたので、あまり叱らないでほしいです。

 それでは、また手紙をだします。




「スレン……ジークロン……より……っと」

「おにいちゃん?」

 背後からのふいな声に身体がビクついた。振り向くとリズが机を覗き込んでいる。

「っ……。リィザ、驚かすなよ」

「声はかけたよ? 伯父さんが呼んでる。きょうはお城で兵士さんに混ざって訓練する日でしょ」

「わかってる。ちょっと時間がかかっただけ」

「お母さんに手紙書いてたんだ」

「ここんとこ暇がなかったっからな。……リィザも何かいうことはないのか?」

 リィザは思案顔になるもすぐに首を横にふった。

「わたしはお母さんのことほとんど覚えてないから、いいの。おにいちゃんの言葉だけでも、お母さんには伝わると思う」

「そっか」

 手紙をしまって立ち上がり、こわばった身体をほぐす。

「ところでさ、なんでまた呼び方がもどってるんだよ。名前で呼ぶはずだろ?」

「だってもう頑張って一人前でいる必要がないもの。わたしには伯父さんもいるし、おにいちゃんだっている。それにおにいちゃんだって、わたしのこと昔のあだ名で呼んでるじゃない」

「それは……。あれだよ、ついだよ、つい。思わずでちまったんだ」

「ふぅん。ねぇ、おにいちゃんだって、ほんとうは伯父さんとこの家で暮らすのが嬉しいんでしょ? それで気が緩んでるのよ」

「んなことねぇよ。誰が好き好んで髭面のおっさんと暮らしたいんだっての」

「家族ならそう思うんじゃない?」

 勝ち誇ったようににやつくリズが俺を覗き込む。

 むしょーに腹がったから、頭に手をのせてぐしゃぐしゃと髪を撫でまわしてやった。

「ちょっとぉ! なにするのよ」

「ばかなこといってるからだ。ったく、そんじゃ行ってくる」

「もー……。いってらっしゃい」




 外で待っていたロークが俺の姿に気付いて顔を向ける。その視線は俺の手元をみている気がした。

「それは……手紙か?」

「そうだよ。母上へのな」

 ロークはかすかに驚いた顔をみせる。

「おっさんもいいたいことがあるなら、ついでに書いといてやるよ」

「その必要はない。いまさら私がかける言葉などない」

「まぁーたそういうことをいう。リィザに怒られるぞ?」

「それは困るな」

 笑みを浮かべるその表情に以前のような硬さはなく、ごく自然な心からの笑いだと思った。

 口では変わらないことを言っているけど、きっとロークは自分を赦せたんだろう。

 俺も変わらないといけないよな……。

「スレン。いまさらだが、聞きたいことがあるんだが」

「ん? なんだよあらたまって」

「王にかけた魔法とはなんだったんだ? 刺繍の魔力で補助したとはいえ複雑なことはできなかったはずだ。せいぜいひとつの魔法だと思うが、いったいなにをしたんだ?」

 そういえばリズには話したけど、ロークには教えていなかったっけ。

「かんたんなことだよ。俺はあの男の心の優先度を逆にしただけだ」

「心を、逆に……?」

「自分のことしか考えないわがままな王は、他人につくす誠実な王になった。それだけだよ」

「なるほど……。それで人が変わったように民への奉仕をしているということか」

「正直、成功するかは半々だった。自己中心的な考えが一番じゃなかったら、優先度を逆にしただけじゃうまくはいかなかったと思うからな。まぁいままでの所業をみれば十分に勝算のある賭けだったけどね」

「やはり、スレンにまかせて正解だったみたいだな。あの時、私が王を亡き者にしたところで、新たな支配者が誠実な者とは限らなかった。この国は変わらなかったかもしれない」

「だからいったろ、まかせろって」

「そうだったな」

 お互いに澄ましたように笑いあう。

 リズの言った通りかもな。ロークとの生活はおもったより悪いものじゃないと思う。きっと父親というのは、彼のような人間のことをいうのかもしれない。

 だからといってロークを父親と呼ぶ気にはならないし、彼もそれは望んでいないだろう。

 それならば、俺がロークに――家族にかける言葉はこれしかない。

「手紙は帰りに持っていくよ。待たせちゃ申し訳ないから急ごうぜ、伯父さん」

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