白い息は冷冷と

 自習になった午後の授業をさぼって家に帰ってきてみれば、鍵が開いていることに気付いた。


「あれ、今日は母さんパートの日じゃなかったっけ」


 せっかちな母だ。どうせ鍵を閉め忘れたんだろうと気にはしなかった。

 二階にある自分の部屋に行く前に一応リビングへよる。もしかしたら俺がパートの日にちを勘違いしてるだけかもしれない。


「ただいまー」


 リビングに入るとそこに居たのは妹の雪奈だった。ソファーに座ってボーっとテレビを見ていて、俺のただいまに返事はない。


「ただいま」


 聞こえていないことは無いと思うが念のためもう一回言った。すると顔だけこっちに向けたかと思うと、またすぐテレビに向きなおした。おい、おかえりの一言ぐらいあってもいいんじゃないか?


「ただいまっ」


 俺は雪奈の正面に立ち三度目のただいまを言った。雪奈はようやく俺の存在を認めて口を開いた。


「みえない」


 やっと喋ったかと思ったらそれかよ。俺はすっと下がって隣に立つ。その場をどいてもまだ自分を見続ける俺に嫌気がさしたのか、


「……おかえり」


 ため息まじりではあったが、やっとおかえりと言った。そのまま隣に座るほど仲が良いとはいえない。キッチンに行き冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注ぐ。


「学校は? さぼりか?」

「午前中だけ」


 後ろから声をかけた俺に雪奈はテレビを見たまま答える。


「そのドラマ面白い?」

「ふつー」


 まぁ楽しくはなさそうだ。普段から喜怒哀楽に乏しい雪奈だが、これほど声に抑揚がないのは面白くないんだろう。


「昼飯作るけど、食べるか?」

「……うん」


 翌日。授業をさぼることなく家に帰ってきた俺は、無造作に置かれたテーブルのメモに目を通す。

『お父さんのところに行ってくるわね。帰りは明後日だから、その間ご飯はこれでなんとかしてね♪ 母』

 そして俺はメモに添えられていた二枚の紙幣を手に取る。


「これでって、マジか……」


 母の唐突な出張はたまにある。それは驚くことじゃない。しかし託された財産が二枚の千円札というのにはさすがに衝撃を受けた。

 買い食いはできないなと思い、冷蔵庫の中身を見ながらメニューを考える。そうしていると雪奈がリビングにきた。


「なんだ帰ってたのか」


 私服に着替えてるのを見ると、先に帰っていたみたいだが全然気付かなかった。我が妹ながら気配のないことだ。


「母さんのメモは見たか?」

「見たよ」


 言いながら俺の脇をすり抜け、冷蔵庫からお茶を取り出しコップに注ぐ。


「いらないから」

「ん、なにが?」

「ご飯」


 そう言って雪奈はお茶を冷蔵庫にしまうと、部屋に戻ろうとした。


「いらないことないだろ。今腹へってなくてもあとで食べるだろ?」

「そうじゃなくて」

「じゃあなんだよ?」

「……いらないから」


 何か言いたげだったが、雪奈はそれだけ言うとさっさとリビングを出て行く。


「よし、できたぞ」


 ありあわせにしては上出来だろう。俺は二階の雪奈の部屋に行ってドアは開けずに外から声をかける。


「ゆきー」

「……なに?」


 中からめんどうくさそうな声の返事が聞こえた。


「ご飯できたからおりてこい」

「――いって言った」

「なに? よく聞こえない」

 いつも喋らない雪奈の小さい声はドアを挟んで余計に聞こえづらかった。このへんは父に似たよな。


「――ないって言った」


 うーん、だめだ、聞こえない。仕方ない後で謝ろう。


「開けるぞー」


 言うのと同時にドア開けた。ダメと言われても開けるからな、返事を待つことはない。雪奈はベッドに寝転がっていた。漫画を読んでいたらしく、枕元にたくさん少女漫画が散らばっている。


「ちょっ――入っていいって言ってない」

「声が聞こえないんだから仕方ない。で、なんだって?」

「ご飯いらないって言ったのに……」

「いいから食べなさい」

「いらない」

「どうしてだ?」


 聞いてはみたけど喋ろうとしない。頑固なのも父譲りだ。まぁそれは俺もだけど。


「理由がないなら食べなさい」

「理由なら、あるもん」

「あるなら言ってみなさい」

「それは――」


 どうしても理由は言いたくないようだ。こうなると聞く耳持たないからな、こいつ。


「わかったよ、じゃあ理由は聞かない。でもご飯は食べなさい」

「なん……?」


 なんだその理不尽だと言わんばかりの目は。これでも譲歩したぞ?


「いいからおりてきて食べなさい」


 俺は雪奈の訴えを気にすることなくリビングに戻ろうとすると、


「ねぇっ――」


 雪奈が声をもらした。振り返ると雪奈が俺を見ているが、目が泳いでいる。


「どうした?」

「あの――」


 喋ろうと口をぱくぱくさせてはいるが、声は聞こえてこない。よっぽど喋りたくないことなんだろうか。急かせるでもなく、俺は雪奈が喋り出すのを待つ。

 震える妹を見守ってしばらく、雪奈はかすれる声でやっと喋ることができた。


「学校で――その」

「うん」


 なかなか次の言葉が聞こえてこない。雪奈はシーツをぎゅっと握りしめ、ずっと下を向いたままだった。


「なんて――いうかさ、えっと」

「うん」

「ひとりっていうか、その――」

「うん」

「仲間はずれに、ね――されてる、かもしれなくて」

「かもしれない?」

「いや、うん。――されてる」


 考えなかったわけじゃない、だからか驚きもしなかった。雪奈は昔から人見知りする子だ。中学の時も同じ小学校からの友達とは仲良くしてたけど、他の小学校から来た子と仲良くしてる気配はなかった。中学の友達は同じ高校に行かなかったらしいから、心配はしていた。俺のクラスでもグループがいくつかあるし、特に女子はグループにうるさい。のけものにされたらクラスで孤立することもあるかもしれない。

 まぁしかし、それでも、


「仲間はずれにされてるのと、ご飯を食べないのは関係ないだろ」

「それは……」

「ご飯は食べなさい」

「わ、わかった――よ」


 いつも通り俺の頑固さが勝って雪奈が折れる。とりあえずご飯を食べさせることには成功した。一安心してリビングに戻ろうとしたけど、言い忘れてたことがあって雪奈に振り返る。


「悪かった」

「え……?」

「勝手に部屋に入って悪かった。次からは入らないよ」

「べつに――入っちゃダメなんて、言ってない」

「そう? それはよかった」


 夕飯を食べ終わると、雪奈はソファーに座ってお笑い番組を見ている。ピクリとも笑っている様子はないが。

 俺は食器を片付けながら雪奈のことを考える。同じ学校だったら気をかけてやることをできるんだけど、残念ながら違う高校だ。しかも雪奈は女子校でうちの学校と交流があるわけでもない。俺が手を出す余地はないようなもんだ。


「どうしたものか」


 食器を拭き片付けが終わってテーブルで一息ついた時、雪奈がおどおどしながら隣にきた。


「あのさ」

「なんだ?」

「えっと……ご飯、おいしかったよ」

「お粗末さま」

「それから……ありがと」

「力になれない頼りない兄だぞ」

「そんなことない」

「そう思ってくれてるなら嬉しいよ」

「それに自分の問題だもん。私が頑張らないと」

「頑張んなくていいよ、辛かったら俺に言いなさい。母さんには……言わないほうがいいかもな。学校に乗り込みそうだ」

「ふふっ、そうだね」


 風呂からあがって自分の部屋に入ろうとしたら、雪奈が自分の部屋から顔を出してきた。


「どした?」

「なんでもないけど、寝るよね?」

「あぁ。ゆきも早く寝ろよ」

「わかってるよ」

「おやすみ」


 少しは元気になった雪奈に安心して、俺はそれだけ言って部屋のドアを閉めた。


「おやすみ、おにいちゃん」

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