驟雨の路

 先生に頼まれた作業が終わり教室に戻ると数人が残って雑談をしているだけだった。さして仲が良いわけでもないクラスメイト、気にすることもなく自分の席から鞄を取る。忘れ物がないか机の中を確認していると、廊下からキャーキャーと黄色い声が響いてきた。何事かと開けたままのドアから廊下に意識を向けるけど、それらしい人影は見えない。


「なんなのかしら……?」


 残っていたクラスメイトも廊下を覗いてたようだけど、すぐに雑談を再開していた。

 私もどうでもよくなり鞄を手に挨拶をすることなく教室を出た。

 下駄箱までくると、ザーっというノイズが耳にはいってきた。

 肌にまとわりつくベタついた空気のなか淀んだ匂いが鼻腔をくすぐる。


「うわぁ降ってる」


 予報を裏切った曇天の空から降る雨を見て誰に言うでもなく文句を呟く。

 雨は好きじゃない。髪はハネるし靴はぐちゃぐちゃになっちゃうし、肌がベタベタするのも煩わしい。出かける予定を中止にすることもある。悪いことのほうが多いと思う。


「どうしよう……」


 急がないと母に頼まれたスーパーのセールに遅れちゃう。でも私は傘を持っていない。降水確率40%で傘を持って出かけるほど私は堅実じゃない。邪魔になるものは持たない主義だ。

 それほど強くはない雨だけど駅までとなればかなり濡れるのを覚悟する必要がある。暖かくなってきた時期とはいえ濡れて風があたれば身体は震える。こんなことで風邪など引くのも馬鹿らしい。

 なんとかできないか考えるのも僅か、これといった妙案は浮かばない。


「これは諦めるしかないかしら……」

「なにを諦めるんだい?」


 私の呟きに応える声が聞こえて驚き振り返る。視線の先には見慣れない男子が立っていた。真っ黒なぼさぼさの髪にだらしなく着た制服。なのにどこか清潔感があり、のほほんとした表情は人柄の良さを感じさせる。何より驚いたのは雪のように肌が白かった。漂白剤にでも浸かってたのかと思うほどに白い。この人は日光が怖いのだろうか……

 ネクタイの色からして同じ2年生だとわかったけどやっぱり見憶えはなかった。まぁ同学年の生徒を全部知ってるわけじゃないのだけど。


「えっと……なんですか?」

「さっきから外を見て立ち尽くしてるし何か呟いてるから、どうかしたのかなって」


 そう言われて自分が下駄箱の前に陣取りぶつぶつ言っている、どうみても変な女と化していることに気づいた。初対面の相手に見られた気恥ずかしさとの二重苦に、私はその場から逃げたくなった。


「なんでもないです。それじゃ……」


 そそくさと革靴に履き替え外に出ようとしたけどさっきのぼさぼさ頭が私を呼び止めた。


「ちょっと、雨降ってるよ!?」

「わ、わかってます」


 わかってはいるけどこの場から早く離れたい。でも外に出れないという現状に私は為す術がなかった。

 互いにどうするべきか沈黙していると彼が先に口を開いた。


「傘がないから困ってるみたいだね、良かったらこれ使いなよ」


 そう言われ視線を向けると、彼は手に持っていたカラフルな小さめの傘を差し出している。オシャレとは言えないその傘は男子高校生の持ち物とは思えない。背の高い彼が持っているとより小さく見える傘は女子の私でも使うのを躊躇われる柄だ。


「でもそれはあなたが使うでしょ……?」

「僕も傘がなくてさ、これはさっき職員室で忘れ物だったやつを貸してもらったんだ。だからきみが使っていいよ」

「それは助かるけど、あなたはどうするの?」

「女の子は雨に濡れると大変でしょう。僕は平気だから」


 そう言って差し出されたサイケデリックな傘をつい受け取ったはいいけれど、私は使うのを躊躇ってしまう。でもせっかく譲ってもらったのに使わないわけにはいかない。私が善意と羞恥で葛藤していると、カチャカチャという音と共にこちらへ女子が駆け寄ってきた。私はあわてて傘を背に隠した。


「相川くんおまたせー。それじゃ帰ろっかーって、あれお友達?」


 ぼさぼさ頭の彼に擦り寄るのは見たことがあるギャルの子だ。明るく染まった髪にところどころ改造した制服、ぬいぐるみのキーボルダーがじゃらじゃらしたスクールバッグ。グループもタイプも違う、よほどのことがなければ関わらないような子だ。立ち去ろうにも、彼にまだお礼も言っていない。このまま黙っていくのも感じが悪い……


「僕は初めましてなんだけど、如月ちゃんは友達?」

「うーん? こんな地味な子知らないなー」


 人が気にしてることをあっさり言ってるくれるじゃない、このギャルは。


「まーいいや。行こっか相川くん」

「ごめん、傘がないんだ」

「だいじょーぶ。あたし折りたたみ傘持ってるから、一緒に相合い傘しよっ」

「持ってるんだ? あぁよかった、それなら行こうか。えーっと……三島さん、またね」


 私は名前を呼ばれびっくりした。すれ違う彼はひらひらと手を降っている。挨拶を返そうとしたけどとっさのことでうまく言葉がでなかくて、


「えぇ、また」


 なんて事務的な口調になってしまった。

 ぺらぺら喋るギャルの勢いに押されてか彼は足早に行ってしまう。仲睦まじげに相合い傘で去っていく後ろ姿を見て、私は爆散しろと強く思った。そしてお礼を言うのもうやむやになった。

 耳に流れ込む雨音で些細な怒りも鎮まり冷静になると、ふと彼の言葉を思い返す。


「……あれ、私の名前」


 彼は私の名前を呼んでいた。初対面のはずじゃ? 彼もそうだと言ってたはずど。不思議に頭を悩ましていると今度は担任の男性教員から声をかけられた。


「三島さん、そんなとこに立ってどうかしましたか」

「先生」


 下駄箱の前を陣取る変な生徒をみつけて、担任である初老の男性教員が心配そうに近づいてきた。


「別になにもしていませんよ。帰るところです」

「そうですか。おや、ずいぶん奇抜な柄の傘ですね。三島さんはそういうものが好きなんですか?」


 私が手に持っている極彩色の傘を見て、伊万里先生は嫌味のない優しい口調で聞いてきた。


「いえ、これは忘れ物だったのを借りた――らしいです」

「忘れ物? 忘れ物の貸し出しなんてしていないはずですが」

「……そうなんですか?」

「えぇそうですよ。貸し出し用の傘ならありますが普通のビニール傘です。どうみてもそれは学校のものではありませんね」


 私は思ってもないことに頭が混乱して黙りこんでしまう。伊万里先生は「ふむ」と顎に手をあてて考える仕草をとってから私に言葉をかけた。


「きっと、あなたに貸してくれた人が素直ではなかったのでしょうね」


 それだけ言い残し伊万里先生はコツコツと音をならして歩き去っていった。

 先生が言った言葉の意味を反芻して思い至った私は、改めて手にある傘をよく確認する。ぐるぐると眺め回すと持ち手の部分に『あいかわ』とシールで貼ってあるのを見つけた。そして彼とのやりとりを思い出してついため息がでた。不器用なのか照れ隠しなのかわからないけど、そういうことらしい。


「ありがたく使わせてもらいます」


 私はサイケデリックな傘をさして帰り道を急いだ。

 そしてその日の雨音は少しだけ心地よく聞こえた。

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