ayame

記事一覧(18)

2分の1の炎

 町のはずれにある小さな家。そこには魔法使いが住んでいると噂されている。 しかし誰かがその家に出入りするところを見た者はいない。 無人であることを告げるように外観もみすぼらしく腐ちていた。壁のタイルはボロボロに崩れ、錆びた門扉は半開きのまま風にあおられて金属音をあげている。 ところが、夜になると備え付けられたランプにはちゃんと火が灯る。ただ、廃屋とも思える建物をランプの火が照らしていては雰囲気が増すばかりだった。 それに気づかないその住人はきょうもランプに火を灯す。 背の高い魔女はラフな服装で肌の露出が多く、およそオシャレに気を使っている風には見えない。銀色にもみえる白い髪は腰ほどまで長く、スタイルの良さを際立たせている。右目は前髪に隠れているが、左目に輝く赤い瞳が魔女の力強さを象徴しているようだった。落ち着いた雰囲気をしているが、その頭にはデフォルメされた動物を模したニット帽子をかぶっている。『ねぇ。いい加減さぁ、引っ越ししたら?』 帽子が言った。「どうして?」 魔女は質問で返す。『いつまでもこんなオンボロに住んでたら商売にならないよ』「そうはいってもさ、他にあてなんかないじゃない」 魔女は答えながらランプを撫でるように手をかざす。するとたちまち火が熾きた。『となりの街に行けばいいじゃない。あの子が居るでしょ』「い・や・よ! あんな死人と半死人しかいない街なんかごめんだわ。だいたい、あの天然ちゃんにお世話になるくらいならこのオンボロのほうがマシよ」 落ち着いた雰囲気など微塵も感じさせない荒々しい態度で、頭上の帽子に抗議する。『わるい娘じゃないのに』「だからよ。悪気が無いってのが一番たちがわるいの」 魔女は家の中に戻り、ベッドへと腰を落ち着かした。『まぁあなたは短気だから、あの子といっしょにいたら身がもたないかもね』「私は短気じゃない。ちょぉっと気に入らないことがあると手が出るだけよ」『そういうところよ……』 帽子は呆れたように言う。 廃屋に、もとい魔女のもとへひとりの人間がやって来た。男の年齢は若く見え、どちらかと言えば少年と呼べそうな感じだった。 魔女は玄関をでて少年を迎え入れようとするが、むこうは及び腰になっている。「何やってんのよ。なかに入って」「いや、でも……」 少年は口ごもり動こうとしない。 すると帽子が言った。『心配しなくても、すぐにお代をいただくわけじゃないわ。まずは話を聞かせてね』 魔女とは違う声がどこからともなく聞こえ、少年は驚きキョロキョロと首をふる。そしてすぐにその声が魔女の上から聞こえたこと、そこには動物(帽子)がいることに気が付く。魔女よりもいくぶん優しい声だったこともあってか、少年はすこし安堵した様子で門をくぐる。いっぽう魔女は不機嫌そうだった。 少年の話によれば、町で不審な火事がおきているという。火の気が無いのはもちろん、広場の往来でも突如としてなにかが燃え出したりしているらしい。 その原因を突き止めて、できれば火事がなくなるように解決してほしいとのことだった。『それは天火ね』「てんぴ……?」「東の島国でみられる怪火のひとつだよ。ここで起きるのは珍しいんだけどね」『すこし前に東から流れてきた人がいたはずよ。きっとその人に憑いてきたんだわ』「そういえばそんな奴がいたような……ったくはた迷惑な」 愚痴る魔女を少年は懇願するようにみつめる。「そんな顔しなくても、私がなんとかするよ」「ほんとですか?!」 目を輝かせる少年に対し、魔女は意地の悪そうな笑みを浮かべる。「もちろん、報酬はしっかりもらうからそのつもりでね」 夜遅く。住民たちが寝静まった町中、その広場に魔女はいた。「それじゃ、やるとしますか」『なるべく穏便にするのよ」「それは相手しだい。……よっ!」 魔女は掌にから炎の礫を浮かべ、それを宙へ投げる。礫は弾けて散った。 すると周囲がだんだんと明るくなる。光源はいくつもの炎の塊だった。 離れたところに浮かんでいた炎はゆっくりと魔女のもとへと近づいてくる。 まるでスポットライトに照らされたように明るくなると、魔女は対応するように赤い瞳にちからを込める。「あなたたち、何をしにここへ来たのかしら」 魔女は炎の塊たちへ問いただす。それに答えたのはしわがれた低い声だった。「我々は導かれたからここへ来たまで。そして怪火である我らがすることはただ燃やすこと、それだけだ」 どの塊が喋っているかは判別つかず、魔女は誰にいうでもなく話を続ける。「それならここに留まる理由もないわね。私が別の場所へ送ってあげるからここから離れなさい」「貴殿は炎を司る術者であるな。なれば我々が従うのは道理である。どこへなりとも往こう」「そんなに堅くならなくていいのに。じゃあこの子が案内するから、ちゃんと付いていってね」 そう言って魔女は再び掌から炎の礫を浮かべた。こんどはその礫が鳥の形に変化して羽ばたき、東へ向かって飛んで行く。 炎の塊たちはふわふわと炎の鳥を追いかける。やがてその灯は見えなくなり、夜の色が戻ってきた。『すなおな相手でよかったね』「まっ、私にかかれば楽勝よ」 魔女と帽子は満足気に帰路へついた。「天火どもは追い払ったわ。これで不審な火事はなくなるでしょ」 魔女の報告に少年はとても喜び、安堵の表情を浮かべる。「ありがとうございます。これで町の人たちもおちついて過ごせます」『よかったね』 帽子の言葉に少年は満足そうに頷く。しかしすぐに顔を曇らせてしまった。「それで、あの……報酬のことなんですけど、あんまりお金がなくて……」 少年の申し訳なさそうな声に、魔女はふっと笑みをみせる。「その件だけど、お金はいらないよ」「えっ?」『え?!』 少年と帽子は驚きの声をあげる。「ただし! おまえはこれから私の助手をすること。それが今回の報酬だ」 魔女はにんまりと言ってみせた。「助手って……そんな! あなたと違ってふつうの人間ですよ!」「だからだよ。この辺の人間は私が魔女だからってなかなか近づいてこないからね。人間のお前が仲介してくれれば仕事も捗る。いやなら金を払ってもらおうか?」「……ちなみに、いくらぐらい」 魔女は右手を前にだして指を四本立てた。それをみた少年はがっくりと肩を落とす。「手伝います……」「それがいいとおもうわ」 沈んでいる少年は顔を上げて気を取り直し、魔女みすえて改めて挨拶をする。「これからよろしくお願いします。……そういえばまだ名前を聞いてないんですけど」「あぁーそうね。私はシャーロット。よろしくね」『ねぇ』「なに?」『どうしてあの少年を助手になんてしたの』「言ったとおりよ」『……本音は?』「めんどうだから」『はぁ……まったくあなたは』「そういわないでよ。マネージャーがいないと大変なのはホントでしょ」『そうね。それはわたしの責任でもあるから何もいえないわ』「ごめん。そんなつもりじゃ」『いいのよ。それよりもう寝ましょう。二十一時を三分も過ぎてるわ』「わかった。おやすみ、シャーロット」『えぇ、おやすみなさい。エリカ』

更新その4

短編『アウルロニス』を掲載しました。ウォンバットマガジンさんの企画【宿語りのシーガル】に寄稿した作品になります。頂いたお題が羽根だったのですが、あれこれ考えるうちに得意じゃないファンタジーになっていました。思いついたネタの2つ目が『アウルロニス』として完成(?)しました。1つ目は規定字数に収まりそうになかったのでいったんボツにして、そのあと修正を加えて『はなびらは舞う』としてなんとか世に送り出すことができました。そんなわけで『はなびらは舞う』にもアイテムとして羽根が登場してますね。『アウルロニス』の羽根とはまったく違うシンボルですが、さすがに初めに思いついたネタなので『はなびらは舞う』の方が手に馴染みましたね。『アウルロニス』の終わり方が打ち切りみたいになってますが、字数の関係です。はい。あそこからまた展開させると二の舞いだと察知して、むりやりの形になってしまいました。いちおうあの後の展開は私の中で決まっているものはありますが、読者の想像に任せる部分があるのもいいかなと思ったり。現在アンソロジー企画さんに複数参加してまして、締め切りにびくびくしております。企画以外の短編とか(できれば長編)も書きたいものはあるので、更新頻度を増やせればいいなと思います。よしなに。

夜天の下

  年が明けるまで残すところ一週間。駅前のイルミネーションが煌めくなか、相川宗也は待ちぼうけていた。  吐く息が白く濁る寒空の中でたたずむこと数時間、雪のように白い肌をした宗也の頬は赤みをおびている。制服の上からダッフルコートを着込んではいるが、首元からは冬の冷たい風が侵入し放題だった。  宗也の待ち人同じ三年生の友だちで、三島結奈という女の子だ。終業式のあと買い物に付き合うという約束で待ち合わせをしていた。  ところが結奈は帰り際に頼まれ事ができてしまったらしく、宗也のもとには遅くなるというメールが届いた。その内容にはお店にでも入って待っていてほしいとの旨も書かれていたが、宗也はこうして待ち合わせ場所の駅前にある噴水の前で、忠犬のように結奈を待っている。  宗也がなんとなくイルミネーションの電飾の数をかぞえていると、ポケットの携帯電話が鳴った。液晶には新着メールの表示。携帯電話をひらきメールを開封する。それは結奈からで『駅に着きました。どこのお店にいる?』という連絡だった。  宗也は慣れた手つきで『噴水の前にいるよー』と返信する。これなら再度連絡はしてこないだろうと思い、携帯電話をたたみポケットにしまった。  それからしばらくすると、宗也をみつけた結奈がツカツカと近づいてきた。その表情は険しく、怒っているようにもみえた。  宗也も結奈に気付くと、軽く手を振って迎えた。そしてパーソナルスペースまで来たところで、結奈が開口一番に言い放つ。 「こぉんのバカー!」 「どうしたの、結奈ちゃん?」  宗也は珍しく声を荒げている結奈を不思議そうに見る。 「それはこっちのセリフよ! なんで外で待ってるのよ。寒いからお店に入ってなさいってメールしたわよね?」 「……寒くないよ?」  宗也はあっけらかんと答える。結奈は表情をそのままに、宗也の手を握った。その冷たさに身体がビクっと反応する。 「雪だるまと握手してるんじゃないかってぐらい冷たいわよ」 「ほら、僕はもともと体温低いから」  いつもの爽やかさで笑いかけてみるも、結奈のお咎めは続いた。 「馬鹿言わないの。ただでさえ白いのに、こんなに冷たくなってたらほんとうに死んでるかと思うわ」  そう言って結奈は手を離した。宗也が小さく苦笑いを浮かべると、結奈は呆れた様子でうつむく。 「遅くなっちゃったから急ぎたいけど、ちょっと寄り道するわね」 「寄り道って、どこに?」  歩き出そうとしていた結奈は振り返り、決め台詞のように言う。 「スタバよ!」  宗也は角の席を確保をして、注文にいった結奈を待っている。  店内は混雑していてほとんどがカップルと思われる男女だった。仲睦まじくする人らを、宗也はぼんやりと眺めている。その頭の片隅には付き合っている女の子たちの姿がチラついていた。  カップを持った結奈が席までくると、宗也の前に座りカップの片方を渡す。 「はい。これ飲んで暖まりなさい」 「ありがとう。きょうは結奈ちゃんやさしいね」  宗也の素直な感想だったが、結奈はしかめっ面で苦言を呈する。 「あしたは大事な日なんだから、風邪でもひいたらどうするのよ」 「身体は丈夫なほうなんだけどなぁ」 「どの口がいうのかしら」  結奈の視線は雪のように白い肌へと向けられる。宗也は視線を感じて照れるようにはにかむ。 「色白なのは生まれつきだよ」 「説得力がないっていってるのよ」  宗也は薄く笑うとコーヒーを啜り、ほっと息をはく。のんきな宗也を見て結奈はため息をついた。 「プレゼントはもう決めたの?」 「うーん……まだ決まらないんだ」 「あなたはいつも貰う側だものね」  そう言われて、再び付き合っている女の子たちが頭に浮かんできた。そしてその中にはいない結奈のことを考える。 「結奈ちゃんはどんなもの貰ったら嬉しい?」 「私の趣味じゃ参考にはならないわよ」 「そうかなー」  要領を得ないやり取りに結奈は呆れつつ、案を立てる。 「じゃあ、マフラーとか手袋はどう?」 「マフラーはもうお気に入りがあるみたいだけど、そういえば手袋はなかったなあ」  宗也は思い出すように答える。 「なら手袋がいいんじゃない? 色とか柄の好みぐらい二人で考えれば大丈夫だと思うし」 「それが良さそうだね。そういうお店ってこの辺にあるのかな」  心配する宗也だったが、結奈は問題ないといった口ぶりで、 「めぼしいところは知ってるから大丈夫よ」  頼もしい結奈の言葉にほっと胸をなでおろす。 「結奈ちゃんがいてくれて助かったよ」 「こんな調子で、いままではどうしていたのかしら」 「去年までは羽衣に直接ほしい物を聞いていたんだよ。でも来年は中学生になるから、ちょっとサプライズをしてあげたくてさ」 「ふぅん。羽衣ちゃんならそんなことしなくても喜んでくれると思うけれど」 「そうだといいんだけどね」  宗也がかすかに見せた憂い顔に、結奈は胸中をさっしたような言葉をかける。 「いつまでもお兄ちゃんにべったりしてるわけにはいかないのよ。嫌われてるわけじゃないから安心しなさいな」 「そう思う?」 「私は一人っ子だから妹の気持ちはわからないけれど、女の子の気持ちはわかってるつもりよ」 「そう言ってくれると頼もしいよ。ありがとう」  宗也のお礼の言葉に、結奈はまんざらでもない仕草でココアを口に運んだ。  喫茶店を出た二人は、結奈が案内したお店に入ってプレゼントを選んでいる。時間も遅くなってしまったので、長居することなくてきぱきと厳選を済ませたのだった。 「羽衣ちゃんにぴったりな色味があってよかったわね。サイズがちょっと心配だけれど」 「すぐにちょうどよくなると思うし、少しくらい大きくても大丈夫だよ」 「相川くん、女の子がみんな私みたいにでかくなるわけじゃないのよ」 「うん? 結奈ちゃんは大きくはないでしょ」  あたりまえのように話す宗也だったが、結奈はむずかしい顔になる。 「そりゃあなたからすれば私は小さいと思うかもしれないけれど、ふつうの女の子よりはでかいのよ」  宗也はやや理解していないようなきょとんとした顔をみせる。それでも構わないのか、結奈は無視して話を続ける。 「ほら、用は済んだのだからはやく帰ってあげなさいな。羽衣ちゃんが待ってるわよ」  そう言って手で追い払うような仕草をする。 「わかってるって。きょうは付き合ってくれてありがとう」 「お礼はもう十分聞いたわ。じゃあ、またこんどね」  宗也は立ち去ろうとする結奈をみて慌てて手を取った。 「あぁちょっと待って」  急に手を掴まれた結奈はわずかに驚いた顔をみせたが、すぐに気を引き締めてみせる。 「なに?」 「はいこれ」  宗也は手のひらに収まる大きさの紙袋を渡した。 「これは……なにかしら」 「結奈ちゃんへのプレゼントだよ」  笑顔で言ってのける宗也とは対象的に、結奈の表情は固まっていた。 「いつのまに…………」 「さっき羽衣のプレゼントを買ったときにね」 「ぜんぜん気づかなかった」 「びっくりした?」 「……したわ」 「よかった。結奈ちゃんは良く気が付くから、サプライズできるか不安だったんだよね」  してやったり感のある微笑みは、結奈の心を的確にとらえていた。嬉しさと悔しさが同居するような複雑な表情だったが、結奈の口から出てきた言葉は素直なものだった。 「あ、ありがと。でも、私はなにも用意していないのだけれど」 「またなにかあったときに付き合ってくれれば、それでいいよ」  宗也は屈託のない笑顔で言った。  動揺の続く結奈は深呼吸をして少し冷静さを取りもどす。 「そうね。私にできることなら協力するわ」  かすかに笑ってくれた結奈をみて、宗也はひと安心した。 「それじゃあ帰らなきゃ。またね、結奈ちゃん」 「ええ、またこんどね」  結奈に見送られながら、宗也は急ぎ家路につくのだった。  宗也が去ったあと、結奈は一人きらびやかなな街中にたたずむ。  渡された紙袋の重みが気になり、その場でテープをはずして開けてみた。 「これは……」  取り出したのは雪だるまのオーナメントだった。なにかのキャラクターかと思われるデフォルメされたビジュアルに、ゆるキャラを狙ったかのような派手な色合い。描かれている表情は身体が溶けているせいか、苦痛に歪んだしかめっ面をしている。 「あいかわらずセンスを疑うわね」  毒づいてみてはいるが、結奈の口元は緩み、薄く笑みを浮かべていた。

ハートの欠片

  死人と半死人しかいないこの街には医者がいない。  当たり前だ。死んでるものに治療はいらないし、死んだも同然のやつに治療をするのは無駄なことだ。  そんな街に一人の魔女がいた。  いっけんすると普通の人間だが、身体にはツギハギの跡があり、独特な色合いで奇抜さを演出している。銀髪にピンク色を混ぜた長めの髪はウェーブがかっていて、柔らかい緩んだ表情とあいまってふわふわとした印象を与えていた。頭には黒いシルクハットをちょこんとのせている。  異形が暮らすこの街でも、彼女は特に不思議な存在だった。  魔女は公園で日がな一日ぼーっとしていることが多かった。  今日も朝から公園に赴き、年季の入った錆びれたベンチに座っていた。  そのまま時間は過ぎ、日が暮れようとしたとき、ふいに魔女の耳に声が聞こえてきた。 「ちょ、ちょっとすみません」  魔女はキョロキョロとあたりを見渡すけれど、誰もいない。 「あっ、下です。こっち」  そう言われて視線を下に落とす。そこにはゾンビが這いつくばっていた。 「あらぁ。こんにちは~」 「はぁ……こんにちは」  高低差のある状況で、ゾンビは戸惑いながらも挨拶を返した。 「お聞きしたいのですが、あなたは魔女ですか?」 「そうよ」 「もしかして、治癒魔女さんです?」  魔女は首をかしげ、しばし考える。そうして、 「そう呼ばれているかもしれないわね~」  のんびりと答えた。  もどかしそうにしていたゾンビは喜びの声をあげる。 「やっぱり! あなたを探してたんです」 「わたしを?」 「いきなりなんですけど、お願いがあるんです」 「わたしに?」 「はい。じつは見ての通りでして」  そう言って、ゾンビは這いつくばったまま顔を後ろへと向ける。視線の先は脚だったが、肝心の脚は無くきれいにもげていた。その両脚はいまゾンビの背中に括りつけてある。 「あらぁ。脚がとれちゃったの~?」 「そうなんです。森へ行く途中でうっかり地雷を踏みつけてしまって」 「それはたいへんですね~」 「まったくです。でも、吹っ飛んだのが脚だけだったのが幸いでした」 「そうねぇ。それでわたしにご用っていうのは?」  察しの悪い魔女は、ここまでの流れを無視した質問をする。 「あの、脚をなおしてほしいのです」 「わたしが? でも~」 「言いたいことはわかります! なおしていただければお礼は必ずします! ですから!」  ゾンビは言いよどむ魔女に渾身の気迫で詰め寄る。(実際は這いつくばったまま) 「そこまでいうなら、なおしてあげてもいいよ~」  魔女はすっと立ち上がると、どこからともなく大きな針を取り出した。最初は身の丈ほどもあった針を伸縮させて、大きさを調整する。 「ちょ、ちょっと!」  針を持った魔女をみて、ゾンビは慌てた様子で声をあげた。 「その針でなにをするつもりですか?」 「なにって、縫い付けるのよ?」  ゾンビは吃驚して、ますます声を荒げた。 「じょ、冗談じゃない! そんな危ない方法じゃ困ります!」 「?」  きょとんとする魔女にゾンビはまくし立てる。 「あんた魔女でしょ? そこは魔法を使って、しゅーん……ぱっ! みたいな感じで何事もなかったようになおすんじゃないのかよ!」 「……まえきたゾンビさんはそれで喜んでたけど」 「んなわけねーだろ! 身体を縫い付けられたら痛いに決まってるだろ!」 「でも、それがいいーって」 「そいつが特殊なだけだ! そんなやつを基準にするな! 普通は痛いのは嫌なんだよ」  下から目線で怒鳴られた魔女は、少し不満そうな顔をするも、すぐに機嫌をなおした。 「なんだぁ、じゃあぱぱっとなおしちゃえばいいのね?」  そう言った魔女は針を振るう。 「あぁ魔法で頼むよ。時間がかかるってんならちょっとくらい待つから」 「できたよー」 「はえーよ! 助かるわ! ありがとうございます!」  軽やかなステップで帰っていくゾンビを見送ったあと、満足気な魔女は家路につくのだった。  道行く異形のものたちとも、人間とも違う。魔女は一人でこの街に暮らす。  名前のない彼女の家には表札がなく、誰が住んでいるのかもわからないまま。  ただ、それゆえに、街の住民は彼女のことを親しみを込めて『治癒魔女』と呼ぶのだった。

アウルロニス

 初めての地上はとても寂しかった。 わたしは見渡す限りの荒地にぽつねんと降り立つと、そう感じた。 木々は枯れ果て、乾いた地面には雑草すらない。浅い溝のような地形が大地を横断するように伸びている。おそらくかつての川の跡だと思う。もうずいぶんと長いこと、雨など降っていないのだろう。 乾いた冷たい風が肌を撫でる。揺れる髪を押さえて周囲を見渡す。 建物はいくつか見えるけど、どれも荒廃しているのが遠目にもあきらかだった。人間が住んでいる気配は感じ取れない。それでも念のためと、わたしは一番近くの建物へと歩を進めた。 近づくにつれてそれが家だとわかった。小さな家。扉はすでに無く、石造りの外壁はボロボロに朽ち果て、窓と思わしき枠がいくつか並ぶ。屋根は半分無くなっていて、その残骸らしき塊が砂礫の床に転がっている。 残骸をよけながらあたりを物色する。家具が揃っていて、かつての住民の生活が垣間見える。小物は形を残していないみたいで、判別できるのはベッドやテーブルなどの大きいものぐらいだ。 特に目ぼしいものはないみたいでため息がでる。しょうがないから次に行こうとしたとき、何かにつまづいた。思わず情けない声が出たけど、誰にも聞かれていないことにほっと安心する。 振り返り、しゃがんで足元に目を凝らす。砂になにかが埋もれている。わたしは腰に携えたスコップを取り出し、慎重に周りを掘り出す。 深くはなかったみたいで、数センチ掘っただけで埋もれていたものの全体がみえた。それはフォトフレームだった。持ち上げると木製の枠が崩れ、ガラス板に挟まれていた写真が抜け落ちてひらりと舞う。拾い上げると、そこに写っているのは若い男女だった。仲睦まじく寄り添う二人。その背景には畑が広がり、遠くにある山々には緑が生い茂っている。まだ自然があった頃の写真に、微かな郷愁を覚えた。 ちょうど十番目の建物が見えたころ、あたりが暗くなり始めていた。地上で夜を迎えるのはできれば避けたい。わたしは次で最後にしようと目前の建物へ急いだ。 家だ。それも最初にみた家よりもさらに小さい。暗がりでわからなかったけど、驚いたことに建物は原型をとどめていた。歩を緩めて、まじまじと観察する。すると、窓から微かに明かりが揺らいでいるのがみえた。わたしは思わず息をひそめた。砂礫を踏む音がやけに大きく聞こえる。窓に近づきちらりと中を窺う。しかし見える範囲には誰もいない。無人なのに明かりが灯っているのだろうか。いや、それも中に入ればわかるはず。わたしは深呼吸をする。意を決して扉の前に立った。 扉を拳で叩く。 数秒……。 反応はない……。 わたしはドアノブに手をかけゆっくりと引き、半身で中を覗く。家の中には誰もいない。ランプの炎が静かに揺らめいている。恐る恐る中へ入って様子をみる。風を凌げるせいか中は暖かかく、人のぬくもりが感じられた。小さなテーブルとイス、それにベッドが一台。キャビネットにはペンとメモ帳、本が数冊。何者かが一人で暮らしている様子が目に浮かぶ。しかし、その何者かはどこにいるのだろう。ランプに灯された炎がつい先ほどまで誰かがいたことを物語っているのに。 わたしはイスに腰掛けて本を手に取る。厚みのある装丁で、表紙にタイトルのようなものはない。表紙をめくってページに目を通すと、タイトルがないのも頷けた。これは日記帳だった。  ◆ ◆ ◆ 恵雨の月・十四日。きょうは突然の来客があった。軍のお偉いさんが三人そろってやってきた。話を聞くと、近々ある戦争に向けて徴兵をしているらしい。元軍人の私に声がかかるのは不思議じゃないが、私にその気はない。丁重にお断りをしたが、お偉いさんがたはまた来ると言って帰っていった。あきらめの悪いやつらだ。 恵雨の月・二十日。首都へ買い物に行った。街中をうろつく軍の姿がちらほらあった。どうやら戦争をするというのは本当らしい。街の住民も軍人をみて不安そうな顔をしていた。露天商の男が言うには隣国が戦術兵器を開発していて、それに対して我が国は先手を取ろうと躍起になっているそうだ。彼も様子を見て国外に避難すると言っていた。戦術兵器が本当ならここも危ないだろう。 真央の月・三日。けたたましい爆音に目が覚めた。外を見たら遠くで煙があがっていた。音は一度きりだったし首都の方向ではなかったから、まだ本格的に戦争を始めたわけではないだろう。しかし、その日はそう遠くなさそうだ。 収穫の月・十日。軍のお偉いさんがきた。今度は二人だった。話の内容は同じで、私に兵役復帰しろとのことだ。もちろん断った。私はもう武器を持たないと決めたんだ。たとえそれで死ぬことになることになっても。 降霜の月・二日。戦争が始まったようだ。ここは遠く離れているからまだ影響はないが、やがては戦火に巻き込まれるだろう。数少ない周りの住人たちも避難して、いまでは私が残るのみだ。私もこの家を捨てるべきだろうか。 降霜の月・二十八日。とうとう首都に入れなくなってしまった。戦線が近づいているということだろう。つまり我が国が劣勢なのだ。砲撃の音も近づいてる気がする。ここにもいつ流れ弾が飛んでくることやら。 黄昏の月・十七日。おかしい。ここ数日で砲撃の音がぱったりなくなった。首都に様子を見に行こうにも、さすがにおっかなくて出歩けない。もうしばらく様子を見るべきか。  ◆ ◆ ◆ そこで日記は終わっている。最後の日付は十日前。いや、内容をみる限りでは今年の日付じゃないはずだ。おそらく、例の事件が起きた年…………。 ふいに扉が軋む音がした。視線をあげると扉が開き、男の姿があった。短い白髪。黒を基調とした軍服。シルエットは細いが、裾から覗く肌を見れば鍛えているのがよくわかる。皺のある顔つきは険しく、切れ長の目元が威嚇するようにこっちをみつめた。「だれだ……?」 見た目の印象よりもかなり落ち着いた声だった。「かってにお邪魔していてすみません」 わたしは立ち上がり頭を下げる。罵声も覚悟していたけど、男は気に留めたようすはなかった。「かまわねぇよ。人に会うのはひさしぶりだ。俺はドレム。お嬢ちゃんの名前は?」 わたしは言うべきか少し悩んだ。しかし先に名乗れてしまってはわたしも名乗るしかない。「メイ……といいます」 ドレムはベッドに腰掛けて低い声で唸る。「うーむ、聞いたことない名前だな。この国の出身か?」 こんどは答えなかった。「まぁいいさ。ところで、腰のポーチはどこかの支給品か?」「これは……どうして気にするんですか」「その黒い羽根のシンボルマークをどこかで見た気がするんだ。どこだったかな」 わたしは答えない。「それもダメか。じゃあここにはなにしに来たんだ? そんなサバイバルな格好で観光ってわけじゃないんだろ?」「調査をしにきたんです。あの事件以来この国はゴーストタウンと化しています。でも最近になって人の姿があるという報告がありまして、ほんとうに生存者がいるかどうかを調べに」「調査ねぇ。その生存者ってのはたぶん俺のことだな。他には誰もいない」「……先ほどはどちらに行かれてたんですか?」 こんどはわたしが質問をする。「近くに地下シェルターがあるんだ。そこに蓄えてある食料を取りにいっていた」 ドレムはポケットから缶詰を取り出す。どれも見たことのないものだった。「そうですか。どうしてシェルターではなくこの小さな家に住んでるんですか? いちいち食料を取りにいくのもめんどうでしょう」「まともな人間なら地下で暮らすなんてことはしないよ。あんなとこに閉じ込められてたら狂っちまう」 その言葉を聞いて、自分がまだ正常であることを認識して安心する。「それは、そうかもしれませんね」 しばしの沈黙。さきに口を開いたのはドレムだった。「お嬢ちゃん。お目当ての生存者をみつけたわけだが、どうするんだ?」「……もしあなたにその気があるのなら、わたしの国に来てもらうつもりです。保護という名目で」「保護だって?」「わたしが……国が生存者を探していたのは保護をするためです。あの事件の生き残りがいるのなら助けなくてはならない。いかに物資があろうともいずれは底をつきます。そうなる前に見つけて保護をするんです」「そうか」 ドレムはそれだけ言ってまた口を閉ざした。わたしは続く言葉を模索する。「どうですか。わたしといっしょに来てはいただけませんか?」 沈黙。やがてドレムは言葉を濁しながら喋る。「これはたとえ話なんだが、そうだな……俺のほかに、もし、生存者がいたら、その人たちも保護ってことになるんだろうか」「もちろんそうなります。ほかにいればの話ですけど」「ほんとうだな?」 ドレムの強面がこちらを見つめる。威嚇するような目には希望の色がみえるようだった。「……ご心配なく。何人いようとも、責任をもって保護します」 見つめ返すわたしの目を受けて、ドレムはなにかを決めたようにすっと立ち上がった。「ついてきてくれ」 ドレムはそう言って、扉を開けて外へ出た。 わたしも覚悟を決めて、あとを追った。 外は太陽が沈んでしまい、電源が切れたように真っ暗だった。ドレムはいつの間にか持っていた懐中電灯で足元の先を照らしている。わたしもポーチから小さめの懐中電灯を取り出す。 風が吹きすさぶ暗闇の中を、ドレムは迷うことなく歩き進む。なにかに頼っている様子はなく前だけを見ている。その後ろを離れることなく付いていく。懐中電灯の明かりがあるとはいえ、数メートル離れたら姿をとらえるのは難しいだろう。 冷たい風に包まれ身体は冷え切ってしまった。ドレムは近くと言っていたけどずいぶん歩いた気がする。いや、暗闇をあてもなく歩かされているから、感覚がおかしくなっているのかもしれない。手首の時計を確認すると、じっさいにはそれほど時間は経っていなかった。 そこからしばらくしてドレムは足を止めた。そこは目印になるようなものは何もない、変わらない荒野だった。「ここだ」 そう言ってしゃがむと、砂に埋もれていた鎖をつかんだ。鎖を力強く引っ張ると地面が音を立てて動いていった。明かりで照らすと、動いたいたのが地面ではなく鎖に繋がれた金属の板だとわかった。ドレムの力んでいる姿からかなりの重さなのだろう。ドレムが最後の一息で引っ張るとぽっかりと穴が現れた。これがさきほど言っていた地下シェルターなのだろう。「目印もないのによく場所を覚えていますね」「家を出る時の方角と、あとは歩数で計っている」「歩数……それはまた、無茶なことをしていますね」 途中で歩数を忘れたらどうするのだろう。歩幅を一定に保つのだって意外と難しいのに。だいたいこの荒野でまっすぐ進み続けるのも、そうとう無謀なことだと思う。「さきにはいってくれ。蓋を閉める」「わかりました」 わたしは言われた通り地下に続く階段を下りた。懐中電灯で先を照らしながら進んでいくと、前方が明るくなっていくのが感じられた。そして道幅が広くなったところから電球が吊り下げられていた。わたしは懐中電灯をしまい、後ろを振り返る。ほどなくしてドレムが追いついてきた。「この先だ」 そう言ってわたしを追い抜く。そこからほんの数メートル先の空間に出て、わたしは驚いた。 そこには五十人近い人が生活をしていた。集合住宅を思わせる雑多な空間は、ここでの生活が短くないことを示していた。 見えるのは大人や老人の姿ばかりで、子供はいないようだった。気にかかるのは誰もこちらに注目しないこと。ドレムはともかく、わたしは初めて来る人間だというのにこちらを見向きもしない。というよりも、この距離まできてもわたしたちに気付いていないというべきなのか。「この人たちは?」「生存者だ。あの事件のな」「こんなに、ですか」「生存者といっても、ほとんどは半死人だ。正常な意識を持ってるやつは少ない」 それでこちらに反応がないのか。よくよく考えればそれもそうだろう。少なからずあの事件の被害を受けているのだろうから。「……さっきは生存者はあなただけだと」「申し訳ないが、嘘をつかせてもらった。素性のわからないやつに、ここを教えるわけにはいかなかったんだ」「……教えていただいたということは、わたしの言葉を信じて、この人たちの保護を頼みたいということでしょうか」「そうだ。俺が世話をするだけでは意味がない。治療はもちろん、ちゃんとした生活をさせてやりたい」「……意味がないとわかっていても、これほど長いこと面倒をみていたのですか?」 ドレムは天井を仰ぎ、深く息を吸う。「ここには、俺の親父もいる。あの事件……戦術兵器アウルロニスによる絨毯爆撃で足を失ってからは死人も同然だがな」 家族を想う姿はどことなく哀愁を滲ませている。その気持ちがわたしにも伝播したかのように、空にいる両親の顔が浮かんでくる。「じゃあ、あの日記は」「読んだのか?」「はい、すみません……」「そうか。あれは親父の日記だ。あの家は運よく爆撃を避けて形を残していた。親父は運悪く外にいたもんだから、あんな風になっちまった」「爆撃があったとき、あなたはどこに?」「俺はここにいた。食料を運び込んでいたところだった。そしたら地震がおきたように壁と地面が揺れた。身体が震えるような衝撃が何度も続いた。振動が止んでから外に出たら、そこはもう、俺の知ってる世界じゃなかった」 わたしは閉口する。あのときの光景はわたしの記憶にも残っている。 山が消えた。 森が消えた。 街が消えた。 家が消えた。 人が消えた。 いまでも時々、トラウマともいえるあの光景を夢にみる。悪夢を。 やっぱりわたしは…………。「ドレムさん、ここにいてください。それからしばらく外にでてはいけません。わたしがもう一度来るまで、ここに隠れていてください」「なにをいってるんだ、お嬢ちゃん」「すみません、わたしも嘘をついていました。わたしの本当の目的はあなたたち生存者の居場所を探し出すこと。そして、それを上に知らせること」 ドレムの表情が曇る。「上っていうのは、だれなんだ」「言葉通りです」 ドレムは逡巡して、はっとしたようにこっちを見る。怒りとも怯えともとれる表情は、わたしの言葉を理解した証拠だった。「戦術兵器アウルロニス、またの名を飛空要塞アウルロニス。わたしはそこの生まれです。まだ幼かったわたしは、空から爆撃の様子を見ていました」「思い出した……。まだ戦争が起こるまえに、スパイによって調査された敵国の情報が流された。それには脅威となる戦術兵器の写真が載っていた。写りは鮮明じゃなかったが、たしかにその兵器には、黒い羽根のシンボルマークが描かれていた……」 ドレムはわたしのポーチに目をやる。そして苦虫を噛み潰したような顔で悪態をつく。「くそったれが! あのとき気付いていりゃここを教えたりしなかったっていうのに!」「落ち着いてください」「どの口がいってくれる! おまえはさっき上に知らせるといった! 理由は一つだ。残った生存者を殺すためだろ。違うか!」 ドレムの憤りが地下に木霊する。「もう一度いいます、落ち着いてください。たしかに最初はそのはずでした。わたしが生存者を探し出して、上がそれを……その……処分、すると。……でも、いまは違います! わたしは本当にあなたたちを助けたい」「信用すると思うのか」「信用してもらうしかありません。わたしはこの地下のことを、あなたたち生存者のことを上には報告しません。行動は制限されますが、すぐに殺されるようなことにはなりません。わたしはこれでも軍に人脈があります。知人に医者もいます。この地上での調査はまだ長いこと続くはずです。わたしはそのたびにここに食料をもってきて、医者もつれてきます」「だがそれも付け焼き刃でしかない」「わかっています。だから、わたしを信じて待っていてください。わたしが国を変えてみせます! あなたたちを殺させない世界にしてみせます!」 それは、たぶん、わたしの本心だった。いままで抑え付けられていた感情が、荒んだ大地を見て、そして苦しむ彼らを見て、限界にきたんだとおもう。 実際に目の当たりにするまでは、自分には関係のないことだと思っていた。でもそうじゃなかった。わたしの言葉一つで、彼らの命は奪われてしまう。 わたしは、彼らを殺せる。 違う。そうじゃない。 わたしは、彼らを助けられるんだ。「信じてください。ぜったいに助けてみせます」 ドレムがわたしを見つめる。その眼差しは鋭く、心を覗かれるようだった。いっそのこと覗いてくれればいい。わたしの救いたいという想いをみてほしい。絶対に助けるという想いを。 長い沈黙を破って、ドレムが口を開いた。「わかったよ、お嬢ちゃん。信じてみるよ」「ドレムさん……」「地下に閉じ込められるのはしょうじき勘弁なんだが、遅かれ早かれこうなる気がしてたんだ。覚悟を決めるよ」「ありがとうございます!」「礼をいうのはこっちのはずなんだがな。お嬢ちゃんの気持ち、うれしいよ。ありがとう」「そのお嬢ちゃんはやめてくださいよ。わたしの名前はメイです」「あぁ、そうだったな。ありがとうな、メイ」 ドレムは少し照れるように笑った。普段が強面のぶん、笑顔はとてもすてきに見えた。「そうだ、これを持っていてください」 わたしはジャケットの胸に付けられた黒い飾り羽根をはずす。「黒い羽根は、わたしの国で守護の象徴とされています。黒い羽根のシンボルマークが描かれるのもそのためです。これを持っていればきっと大丈夫です」「しかし、俺が持っていたらメイはどうするんだ」「わたしは大丈夫ですよ。だってあのアウルロニスにいるんですから」「いってくれるじゃないか」 わたしの皮肉にドレムは笑ってくれた。もう緊張は解けたみたいだった。「それではわたしは戻りますね。次がいつになるかはまだわかりませんが、必ずまたきます」「あぁ、待ってるよ」 ドレムの言葉を聞き届けてから階段の方へ歩きだそうとしたら、「そうだ。一ついっておくことがある」 わたしは振り返る。「なんですか?」「俺は暗いところが苦手なんだ。とくに一人でいるのは耐えられない」 ドレムは茶化すように言った。それを聞いて、わたしは微笑む。「なるべく早くきます。では、また」 重い金属の蓋をどかし外へ出ると光が差してきた。わたしは眩しさに思わず手をかざし目を細める。視線の先には人工的な冷たい光が輝き、それを遮る人影がいくつかあった。その中の一人が近づいてくる。翳る姿、その正体がはっきり確認できたとき、わたしは背筋が凍った。「監督官……」「ズルメイ調査官。初めての地上調査、ごくろうだ。調査の結果はどうかね?」「どうしてこちらに……?」「いやなに、きみのことが心配でね。なにせ初めてのことだ、予期せぬ出来事がおきていないかと様子を見にきたんだ。それで調査の結果は、どうだったかな?」 バレてる……いや、落ち着きなさい。ここが何かはわたしが喋らなければわからないはず……なんとか誤魔化すしか……。 小さく深呼吸をして平静を装う。「地下シェルターを発見しました。しかし、中は無人で放棄されています。いえ、最初から誰もいなかった可能性もあります」「ふむ、そうか無人だったか」 監督官はあごに手をやり考えるように唸る。これで隠し通せるとは思えない。ここはもう一つ……。「ですが中を調べれば何か判明するかもしれません。今後も調査をする必要があるかと思います。おそれながら、引き続きわたくしに調査を担当させてはいただけないでしょうか」「そんなにかたくならずともよい」 監督官は笑みを浮かべる。「もちろん調査は続ける。そうだな、今後もきみに頼むのがよさそうだな。経験を積むにはちょうどいいだろう」「あ、ありがとうございます!」 よかった……これでドレムとの約束を守ることができそうだ。 安堵していると、わたしの元に監督官が近寄った。「ちょうどよい機会だ、ズルメイ調査官にもみせておきたいものがある」「わたくしにですか……?」「そうとも、今後の調査にも役立つものだ。先日に開発が完了したものでな。おい」 監督官は後ろで待機していた武装兵を呼び寄せる。 武装兵は構えていた銃を離し、ノートブックみたいな端末を取り出した。平たい端末は液晶画面しかなくボタンの類はない。監督官はそれを受け取り、画面を指先で触る。それで操作しているようだった。 監督官は操作を終えたのか、端末をわたしの後方へとかざした。わたしも倣うように振り返り、端末に目を向ける。真っ黒な画面の中に赤い色をした塊がいくつもあった。かすかに動いているようにもみえる。 それがなにを示すのかに気付き、わたしは全身から血の気が引くのを感じた。「これはこれは、どうやら無人ではなかったようだな」「……ま、待ってください!」 わたしはすがるように叫んだ。しかし、監督官は取り合うつもりなどまるでないようだった。手を挙げて、前方に軽く振り下ろす。その合図と共に、待機していた幾名の武装兵が地下へと走り込んでいく。 わたしはただ茫然として、引き止めるちからもなかった。 監督官は変わらない笑顔でわたしの肩を叩く。「やはり様子を見にきて正解だったようだ。なに、気にすることはない。初めてのことだから、このような見落としくらいはあるものだよ」 わたしは言葉がでなかった。どうすることもできない。なにもできなかった……。「ここは彼らにまかせて上に戻ろう」「うえに……」 わたしは空を仰ぐ。浮かんでいるのは飛空要塞アウルロニス。わたしの育った家。そしてわたしを閉じ込める牢獄。「おや、ズルメイ調査官、羽根はどうしたのかね?」「これは…………」 胸元に手をやる。いつも身に着けていた黒い羽根。守護の象徴。わたしを守ってくれるもの。いまはもう……。 監督官は新しい、黒い飾り羽根を取り出した。「あれがなくては困るな。どれ、新しい羽根を渡そう。次はなくしてはいけないよ、これは我が軍の誇りなのだ」 違う。「ズルメイ調査官?」 これはわたしの羽根じゃない。「どうかしたのかね?」 わたしの羽根は、「聞いてい――」 あそこにあるんだ! 瞬間、駆け出す。 再び、暗く狭い地下へ。 わたしを待っている人の元へ。 願わくは、黒き羽根のご加護を。

はなびらは舞う

 俺のお祖父さんの、そのまたお祖父さんが、まだ子供だった頃、この国には魔法があったという。 火を熾し、井戸水を湧き上がらせ、荒地に草木を生やし、天候を支配して豊かな風土を育んでいった。魔法の恩恵に肖ろうとこの国に移り住む人々が増えてゆき、いつしか隣国をはるかに上回る大国となっていた。 それが俺らが子供のころに習うこの国の歴史。でも、いまではもう魔法なんてものは、教本に書かれたお伽噺で、過去の遺産。誰もが知っていて、誰も見たことがないもの。 それでも皆は口をそろえてこう言うんだ。『魔法があったらいいのに』 魔法というものは、たとえ言葉だけの存在になっても、それほどに人の心を惹きつけ魅了するなにかがある。 そして、俺も幼いながらにこう思ったことがある。魔法が使えたら何をしようかな、と…………。  ◆ ◆ ◆「どいてくれぇええーー!」 俺は叫んだ。叫びながら昼飯時の商店街を全速力で駆け抜けていた。往来する人たちにぶつかりそうになるのを寸前でかわし、足がもつれそうになるのをなんとか踏ん張る。「ごめんよっ!」 ずれたゴーグルを直して振り返らず走る。この格好はきらびやかなこの町の中じゃ隠れきれない。早くここから脱出しないと。また牢屋にぶち込まれるのはごめんだ。 息を乱しながら走り続ける。目抜き通りを過ぎると徐々に人が少なくなってきて、気が付くと第二の門まで来ていた。けさ見たときと変わらず重厚な門は固く閉ざされている。 俺は迷わず左に曲がり、城壁に沿って再び駆け出す。そして目指していた城壁の切れ目を見つける。 子供がなんとか通り抜けれる程度の亀裂だ。ここまで来て身にまとう外套の内ポケットを調べる。しまったものを落としていないか確認した。大丈夫だ、ちゃんとある。袖のない外套を手早く脱ぎ、丸めて亀裂の向こうへほうった。「そこの少年! 待ちなさい!」 走ってきた方向から低い声が響いて、ふと目をやるとさっきの番兵の姿が見えた。あの装備でどうして追いつけるんだよ!「まじかよっ」 ゴーグルを外して首にさげる。そして身を縮めて亀裂に身体を押し込み、ずりずりともがいてなんとか通り抜ける。拾い上げた外套についた土を払いながら振り返ると、亀裂から番兵がこっちを覗いていた。「待て! 盗んだものを返しなさい。いまなら悪いようにはしない」 短い白髪で髭面の番兵は息ひとつ乱していない。これは、一歩間違えれば捕まっていたかもな……。 番兵はこちらに呼びかけ続けているけど、俺はだんまりを決め込み、ゆっくり後ずさる。うっかり背中を向けたら銃でズドンだ。 俺は距離を置いて狙われていないことを確認してから、外套を着なおして中層地区に帰っていった。 広場まで戻るといつもの露店がちらほら営業していた。といっても客足は少なく閑散としている。見慣れた光景だけど、さっきまでいた高層地区の目抜き通りの喧噪が耳に残っていて、いっそう寂しく感じた。 寝床にしている宿に戻ると、待ち構えていたようなリズが俺を睨みつけてきた。襟に花弁の刺繍がはいったお揃いの外套を翻して、俺に詰め寄る。「スレン! きょうは低層の手伝いにいく約束でしょ! どこにいたのよ!」「大声だすなよ。さっきの稼ぎを聞きたくないのか?」「稼ぎって……あなたまさか、また高層に行ったのね? この前捕まって痛い目みたじゃないの」「だからだよ。やられっぱなしは性にあわねぇからな。心配すんなって、今回はしっかりいただいてきたからさ」 俺は外套の内ポケットから、紐で口を縛ってある小袋を取り出す。それから中身を一つ取り出して見せる。「見てみろよ、この輝き! こんな高そうな宝石置いてるくせに警備はすっかすかなんだから笑っちまうよ」 リズはため息を吐いて頭を抱える。どうしたんだ? 宝石の眩しさに目が眩んだのか?「その手薄な警備の中に意気揚々と侵入して、あっさり捕まったのはどこの誰だったかしら?」「ばっか、おまえ、あれは向こうが囮なんて卑怯な手を使ってきたからだ!」「あっちも泥棒に卑怯なんていわれるとは思ってないでしょうね」「泥棒じゃねぇ! 貸してるものを返してもらってるだけだ。いいかよく聞け」「やめてよ、またその話?」「俺ら中層地区の住民が収益の一部を高層地区に上納しているのは知っての通り。その中には上層が行う低層地区の管理費用も含まれている。にも関わらず、低層地区の管理を俺ら中層民に押し付けているのが現状だ」「それは高層から低層への連絡通路が崩落して、低層へいけなくなったからでしょう」「連絡通路が使えなくても、門を開けて中層を通ればすむことだ」「門を開けるのは非常事態のときだけって決まりがある」「つまり低層にいけなくなるは非常事態じゃないってことだろ? あの贅沢な連中は自分より下のやつらのことなんか、これっぽっちも気にしちゃいないんだ。だから折れた矢を捨てるようにあっさり見捨てる」「スレンのいいたいことはわかるよ。わかるけど、でもわたしたちはこの中層にいる限り、それに従うしかないんだよ」 リズの諦めたような口ぶり。違う、それは間違っている。「聞いてくれ、リズ。俺がそれを変えてみせる。あんな城門なんかぶっ壊して、俺らの存在を認めさせてやる。だからそれができたら、俺といっしょに暮らそう!」「スレン…………わかったから、いまはいっしょに低層に行きましょうね」「そうだな!」 まずは約束を守るとこからだと自分に言い聞かせ、俺は気を取り直してリズと共に低層地区へと向かった。  ◇ ◇ ◇ 翌日。宿のベッドで目を覚ますと、階下のざわつきが耳にはいってきた。あの絡むような声は、どうやらザハさんが誰かと口論しているようだ。 こげ茶色の外套を着込み、ゴーグルを手に取る。まだ眠い頭を揺り起こしながら部屋を出た。 廊下からちらりと階段の下を覗き込むと、白髪で髭面の番兵が二人の部下を伴っているのが見えた。きのうの男だ。うしろの部下は武装していて銃も持っている。 思ったよりも早く現れたことに少し動揺した。とはいえ、隠れる気はない。短く深呼吸をしてから、騒ぎを止めにおりた。「スレンという少年がいるのはわかっている。呼び出さないのなら、各部屋を調べさせてもらう」「何度も言わせないでよ! うちは客を売ったりしないの。部屋にはいるんだったらちゃんと代金払ってもらうわよ!」「ちょっとザハさん。金もらったら客の部屋にいれるってのは売ったことにならないのかよ」「やっと起きたのね、スレン。 あんたねぇ、うちに揉め事を持ち込むなら追い出すっていったわよね?」「それは勘弁してほしい、ほかにいくとこがないんだよ」 階段をおりる俺の姿をとらえて、うしろの部下が銃を構える。「あれ、きのうの番兵さんじゃん。こんなみすぼらしいところになにしにきたの?」 俺はやや煽るように悪びれない態度をとってみるが、白髪のおっさんは極めて冷静だった。「きょうは逃げないのだな」「追われる覚えがないもんでね」 白髪のおっさんは俺を睨むように見据える。でも敵意はまるで感じない。少なくとも盗っ人をみる目ではないように思える。 ややあって、変わらない落ち着いた口調で話す。「盗んだものを返しなさい」「あんたまた盗みなんかしたの? いつまでもそんなことしてたらいい男にならないわよ」 ザハさんはちょっと口を挟まないでほしい。「盗んだものって?」 とぼけてみてるが、おっさんは答えない。ただ無言の圧力をかけるだけだった。 ため息をつき観念したフリをして、外套のポケットから小袋を取り出す。それをおっさんに向けてほうった。 おっさんはうまいことキャッチしてそれをまじまじと眺める。手の感触で中身がわかるのか、袋を開けようとはしない。「これで全部じゃないだろう」「宝石はそれで全部だよ。数えてみればいい」 おっさんは俺を見たまま動かない。やがて、これ以上の問答は無駄だと考えたのか、「どうやらきみに聞いても意味がないようだ」 そう言うとの同時に、後ろの部下に手で合図をだした。二人は機敏な動作で宿から出ていく。おとなしく帰るのかと思ったら、おっさんは残ったままだ。「ちょっと、用がすんだならあんたも帰ってちょうだい」 いいぞザハさん、もっと言ってやれ。「宿屋のご主人には悪いが、まだやることがある」「なんだよ、まだ俺に文句があんのかよ」「いや、きみとの会話はもう終わりだ」「おい……まさか……ザハさんを口説こうってのか? 番兵さんもそっちの趣味なのか?」「ちょっと! あたしはお断りよ。髭面の男はきらいなの」 自分が髭面なのに何をいっているんだ。「安心しろ、そんな趣味はない」 おっさんは表情を変えず真顔で答えた。 ちょっと感情を揺さぶってやろうと冗談をいってみたけど、冗談は通じないらしい。城に仕える連中はどいつも生真面目なやつらばっかりだな。さっきから煽ってはみるけどまったく効果がない。一筋縄ではいかなそうだ。「きみは盗みをする愚か者だが、馬鹿ではないようだ。それだけ堂々としているのだから、盗んだものは手元にないのだろう。すぐには手が出せないところに隠したのか。ともかく、それならば私も頭を使おう」 ふと、外から聞き覚えのある声がした。耳に馴染んだその声に、俺は嫌な気配を感じる。 やがて宿に入ってきたのは、さきほど出て行った二人の部下と、そいつらに引き連れられたリズだった。「離してよ! わたしがなにをしたっていうのよ!」「リズっ……」 駆け寄ろうとしたら、おっさんが俺の前に立ちはだかる。「おっと、盗んだものを返すまで彼女はこちらで預かる」「なにが頭を使うだ。ただの脅迫じゃないか」「交換条件だ。無理難題ではない。ただ返せばいい、それだけだ」「そんな話、聞くと思うのか?」「……期限は陽が沈むまでだ」 そう言っておっさんは後ろを向き、部下に指示をだしてリズを連れ出そうとする。「スレン! なんだか知らないけど、しくじったらひどいわよ!」 俺にむかって叫ぶリズはずるずると引きずられていった。頼むからおとなしくしていてほしい。 あとを追うおっさんの後ろ姿に声を投げつける。「まてよおっさん」「私はロークだ」 おっさんは振り返りそう答えた。「名前なんか興味ねぇよ。期限までに返さなかったら、リズをどうするんだ」「返さなかった時の心配をするぐらいなら、返しなさい。それで済むことだ」「それで済まないと思ってるから心配してるんだよ」「…………陽が沈むまでだ」 ロークは去り際に俺を一瞥して、宿を出て行った。「ザハさん、あいつらって門を開けてはいってきたの?」「えぇ、そうみたいよ。露天商が騒いでいたわ」 それなら安心した。わざわざ門を開けてきたのなら、俺の知らない抜け道はないということだ。裏をかかれる心配はとりあえずないと考えていい。「それよりスレン。リズちゃんをあんな目にあわせて、あんた覚悟できてるんでしょうね?」 ザハさんが神妙な面持ちで聞いてきた。「もちろん覚悟はしてるよ。でも、リズには悪いけどその前にやることがある。ザハさん、預けといたやつ出して」「使うつもりなの? 慣れないものはやめたほうがいいわよ」「だいじょうぶだって。使い方はわかってるし、それに」 俺はにやりと笑ってみせる。「やられっぱなしは性に合わないんだよね」 日が傾いてきた。あと一時間もすれば太陽は見えなくなる。 高層地区は文字通り丘の上にある。扇状の緩やかな丘陵にあるこの国の頂上には豪奢な家々が並んでいる。 中層からは見上げる形になるため、こうやって宿の屋根に立ってみても、城壁に阻まれて内部を窺うことはできない。 ザハさんに出してもらった二個の閃光弾は専用のベルトに収めてある。むかしに行商人から買った代物だ。なんでも軍隊という戦闘組織が使うもので、攪乱に使われるそうだ。どれほど効果があるかは、試していないからわからない。数が限られている以上、試し打ちも無駄打ちもできない。 軽さと速さを信条にしているから、武器はナイフが数本だけ。城には弓兵がいるだろうけど、それよりも問題なのはあの銃だ。どんな仕組みかしらないけど、鉛玉をとんでもない威力で打ち出してくる。大砲の縮小版といった感じだ。 この国にそんな技術はない。この閃光弾のように外から仕入れたものだろう。その数も多くはないみたいで、王の側近くらいしか所持していなかった。さっきの二人は銃を持っていたけど、側近じゃない。とすると、「こいつをどうしても取り返したくて、確実な手段できたってとこか」 外套のもう片方のポケットから一枚の羽根を取り出す。 この羽根がなにか。その正体は半信半疑だったけど、あのおっさんが門を開けてまでここにやってきたこと考えると、疑う余地はなくなった。「門を開けるのは非常事態のときだけ……か」 どうやらこの一枚の羽根がなくなったのは、そうとうな事件ということだ。…………。 夕焼けに染まる街並みを見納めて、気持ちを集中する。 意を決して、聳える城壁へと立ち向かった。 きのうと同じように亀裂を通り抜けて、高層地区へと侵入した。 あのおっさんが話をつけているだろうから、門番に言えば普通に入れると思うけど、そんな捕まりにいくようなまねはしない。 陰から陰へ移動して人目を避ける。城へのルートはいくつかあるけど、あえてきのうと同じルートをとった。 城門まできたところで異変に気が付いた。哨兵がみあたらない。 白髪で髭面の番兵、ロークがいないのはリズを見張っているからだと思うけど、監視塔にいるはずの弓兵の姿もない。俺がくることはわかっているはずなのに、きのう盗みに入ったときよりも警備が手薄だ。もはや警戒していないといってもいい。「罠だよなぁ」 この中に侵入するのはとても気が進まない。とはいえ悠長に考えている時間はない。ひとけが少なくなる日暮れぎりぎりまで待ったんだ。一時間もしないうちに時間切れになっちまう。「やるしかない……!」 俺はゴーグルを装着する。あらためて周囲に意識を向けて見られていないかを確認する。そして姿勢を低くしたまま城門まで駆ける。ぴったりと門によりそい、中の気配を探る。ひとけはないと感じ、門をゆっくり押し開けた。 ちらりと覗き込み、もう一度気配を探る。無人なのを確かめいっきに城内へ入り込んだ。 支柱と壁に身を隠しながら地下の牢屋へと進む。捕まったのは一度だけだったが、はっきり覚えている道のりを迷うことなく駆ける。二度目の角まできて歩調を緩める。「やっぱり変だな……」 ここまで誰の姿も見ていない。まるで城の中に誰もいないみたいだ。リズが城の地下ではなく、別の場所にいる可能性がでてきたな。もしそうならかなりまずい。違う場所を探してる時間はない。「……っと」 牢屋まであと少しというところで声が聞こえてきた。聞き間違えるはずもない、リズの声だ。 心配は杞憂だったけど、様子がおかしい。リズのことだから、てっきり抗議に声を荒げていると思ったのに、どうやら誰かと話しているみたいだ。 リズの声はいたって平静で会話を楽しんでいるようにも思えた。ただ相手の声は聞こえない。ひとりごとか? 来るのが遅すぎて寂しくておかしくなっちまったか? 足音がしないように細心の注意をはらって近づく。だんだんはっきりと聞こえてくるリズの声は、やはり誰かと会話している感じだ。 牢屋の入り口まできて、気配を探る。リズのほかに誰かいる。一人だ。殺気の類は感じない。あの威圧感たっぷりのおっさんじゃないのか? 考えるのも数秒。相手が一人なら倒す自信は十分にある。臆するな。 リズの声が響いていて、わずかな音なら聞こえないだろう。腰のナイフに手をかける。 一息。 壁から身をはがしなかへ飛び込む。「…………っ!」 瞬間、踏み込んだ足が止まり身体が硬直する。数メートルさきにいたはずの気配が、いまは俺のすぐ隣にいる。その手に握られた長剣の切っ先は俺の胴をとらえている。あのまま駆けていたらあっさり俺の腹を貫いていた。 流れる冷や汗に意識が繋がる。「おっさん……なにしやがった」 下手に動くことができず、踏み込みの態勢のまま問いかける。「盗っ人だけあって気配を消すのがうまいようだが、殺気のほうはまだまだだ」「ばれてたってわけね……」「右手をナイフからはなすんだ」 俺は言われた通りに右手を外套の下からだした。「左手はいいのかい?」「この期におよんで虚勢を張る胆力は認めるが、時間の無駄だ」 ロークは冷たく言い放つと、切っ先を引いた。身体の緊張が解けて、ゆっくりとちからが抜けていく。「ずいぶんあっさり解放するんだな。背まで向けちゃって、俺を甘く見すぎじゃない?」「きみは勝算のない勝負をするほど馬鹿じゃないだろう」「そうとも限らないかもよ」 ちくしょう。よくわかってんじゃねぇか。俺に勝ち目があるとしたら不意打ちしかなかった。それも失敗したいま、無理をしてもリズを危険にさらすだけだ。 ロークはリズのいる牢の前のイスに腰を下ろした。すっかり牙を抜かれた俺は、観念しておっさんに歩み寄る。「スレン」 さっきまでぺらぺら喋っていた声が俺を呼ぶ。「リズ。おまえこのおっさんに協力したな」 牢の中、藁の上にちょこんと座っているリズに投げやりに問う。「なんのこと?」「一人でしゃべってたろ。あたかもおっさんの注意がそっちにあるようにみせかけるために」「あぁー違うよ。わたしがスレンの気配に気付くわけないでしょ? 退屈だからロークさんに話し相手になってもらおうと思ったんだけど、ぜんぜん答えてくれないだもん」 リズが不満そうに口をとがらせる。「それで一人でべらべらしゃべってたのか? おっさんにむかって?」「牢屋ってひまなのよ」 俺は申し訳ない気持ちと同情から、おっさんに声をかける。「連れがすまなかった」「気にするな、たいしたことじゃない」「ちょっと、どっちの味方なのよ! だいたいくるのが遅すぎないかしら?」 憤るリズを無視しつつも、おっさんが言葉尻に便乗してきた。「ずいぶん遅かったが、低層地区のどこに隠していたんだ」「……なんで低層なんだよ」「彼女が話してくれた。きみはここで盗みをしたあと彼女と二人で低層地区に行ったんだろう? 連絡通路がない以上、嫌厭されてる低層地区に隠すのがもっとも安全だ」「しゃべりすぎじゃないか……?」 リズに視線を投げつける。「ふーんだ。しらないっ」 ぷいとそっぽを向いていじけて見せた。やれやれ、リズにはあとで謝るとして、問題はこっちだ。「そんで、おっさんの狙いはなんなんだ?」「……なにがいいたい」「外にも中にも哨兵の姿が影も形もない。まっすぐここまできたから確かじゃないけど、たぶんほかの場所にも誰もいないんだろ? いるとしたらあのクズ王だけだろう。あれが城からでるとは思えないし。とにかく、あんたはひとめに付かないように俺をここへ誘い込んだ。人質のリズがこんだけ騒いでもお咎めなしときてる。そういう状況でだ、いまさら俺たちに危害を加えるとは思えない」「さっきは危なかったがな」 おっさんはふっと笑みを浮かべた。「あれは正直あせったよ」 つられて俺の口もゆるんだ。 するとおっさんは上着のポケットから取り出したものを俺に抛った。俺は右手で受け損ない、とっさに左手でつかんだ。「カギ?」「牢のカギだ。さぁ、持ってきたものを返してもらおう」 ロークの表情はさっきまでの鉄面皮にもどっている。それをみてガッカリしている俺がいた。「なんだよ、ちょっといいやつかなって思ってたとこなのに。結局はあのクズのいいなりかよ」「心配するな。きみたちの安全は保障する。おとなしくしていればだが」 そう言ってロークは手を差し出す。「…………さっきの質問に答えてなかったよな」 おっさんは眉をひそめる。こっちの意図を探ろうとしている。「低層のどこに隠したかだっけ。残念でした、俺はどこにも隠しちゃいないよ。最初からずっとここにしまってたあったんだよねー」 俺は外套を広げ内側のポケットをさす。 それを聞き、ロークが立ち上がって近づこうとする。俺は外套をとじて半歩下がる。「リズがさきだ」「……わかった」 ロークは静かに壁際までさがって俺たちを見張る。 俺は慎重に牢に近づいてから開錠、扉を引いた。「いつまでいじけてるんだよ。帰るぞリズ」 リズは膝を抱えて外套の襟に顔を埋めたままだ。「……ところでおっさん、俺はコレをずっと持っていたわけだから、遅くなったのは低層まで往復したからじゃない。それはわかるよな?」 もったいぶるように背中越しに語りかける。「では遅くなった原因はいったいなんでしょうか?」「ひとけが少なくなるのを待っていたんだろう」「それもあるけど、もっと大事な理由があるんだなー」「…………」「正解は――」 そこまでいいかけて、俺は鉄の塊のピンを抜いて手を離した。外套の内側から、つまりロークの死角からあらわれた閃光弾は、石畳の床に落ちて金属音を響かせた。 次の瞬間、激しい閃光が牢屋を照らした。目を閉じていてもその強烈な光によるダメージはすさまじく、すぐにまぶたをあけることができないほどだった。 不意を突かれたロークも同じはずだ。あの一瞬ではいかに熟練の兵士とはいえ顔を覆うことすらできない。 この場にいる俺とロークは目を奪われた。 でもこの場にはもう一人いる。ずっと顔を附していてこの閃光をまぬがれたやつが。そいつが俺を導いてくれる。「リィザ!!」 俺の合図とともにリズが動く気配がした。手を握られる感覚に引っ張られ、見えない姿のあとに続いた。「しくじるなっていったじゃんか! ばか!」「しょうがないだろ、あんなに強いとは思わなかったんだ」「またそんな言い訳して。わたしを守れないんだったらお別れよ」「もっと精進するよ」 リズに手を引かれて時折止まりながらしばらく駆ける。だんだん視力が回復してきて、うっすらと状況が見えてきた。 地下からはあがって広間の付近まできていた。城門まではもう少しだけど、そのまま外にでたらいよいよ撃たれるかもしれない。陽が落ちて暗くなっているとはいえ、堂々と姿をみせるのは綱渡りすぎる。「リズ、もう大丈夫。助かった」 こっちを向いて俺の姿を確認してから、リズはあっさり手を離した。「じゃああとはまかせたわよ」「おいおい、投げやるなよ」「わたしは助けられる側なんだけど」「いやもう助けられたじゃん。いまからは逃げるがわで俺と同じだろ」「細かいことはいいから急ぎなさい。追いつかれるわよ」 たしかにどう考えても俺が悪いんだけど、なんだか釈然としない。やっぱり謝るのはなしだ。「こうなったら使ってみるしかないか……」「スレン?」 外套のポケットに手を入れ、一枚の羽根を取り出す。なにも変わったところはない、ただの羽根。何の羽根かはわからないが、重要な秘密があるはず。「その羽根がどうかしたの?」「これは魔法の羽根だよ」「……さっき走った拍子に頭でも打ったかしら」「なんだよその可哀想な子を見る目は! 俺は正気だ」「そう? じゃあ続けて」「いや、続くような話でもないんだけど。おまえもこの国の歴史はしってるだろ」「魔法が国を豊かにしたってやつ? あんなのおとぎ話じゃない」「そうじゃなかったってことだよ。これはたぶんその魔法の名残りだ。ちからは衰えているかもしれないけど、きっと魔法が使える! これを使えばあのクズ王を引きずりおろして、この国を変えることができるんだよ!」 こんな状況で熱く語っている余裕などないとわかっているけど、俺の想いは止まらなかった。「魔法が使える回数は残り少ないかもしれないから、できれば使いたくないけど、ここを抜け出すにはこれに頼るしかなさそうだ」 リズの視線はあいかわらず冷めたものだった。「スレン、あなた……ここから抜け出す方法は考えてきてなかったのね」「考えてきたさ! あのおっさんをぶっ倒してこっちのいうことを聞かせる。それで安全に帰れたはずだったんだ」「それがみごとに失敗して、こうして逃げ場を失くしてるわけだけど、なにかいいたいことは?」「…………運が悪かった」「…………お別れね」「なんでだよ!」「うるっさい! もういい、わたしにまかせなさい。それ貸して」 リズは俺の持つ羽根に手を伸ばした。「魔法なんて信じてないんだろ?」 俺は手を引いた。「いいからわたしに貸しなさい。ぜったい大丈夫だから」「うぐっ……」 その言葉を言われてしまったらもう俺に反論できることはない。「わたしがぜったい大丈夫っていって、失敗したことがある?」「……ねぇよ」「じゃあ貸して。ほらっ」 俺は諦めて、握りしめていた羽根を手放しリズに渡した。「ふぅん。これが魔法の羽根ねぇ。ただの羽根にしかみえないけど」「それで、どうするんだよ」 いったい何をするつもりなのか。少しの好奇心とともにリズの行動を見守る。「こうするのよ」 リズはゆっくりとうしろへ下がっていく。来た道を戻るように後ずさる。 そこでやっとうしろから迫っていた気配に気づいた。いや、気づかされたというべきか。 通路の陰から白髪で髭面の男が姿を現す。「はいこれ」 リズはおっさんのほうへ向き直り、羽根を渡した。「ありがとう。これでなにもかもうまくいく」「いいのよ。これがこの国のためになるんだもの」 目を疑った。 なんだこれは。 どうなってる。 俺は胸が締め付けられるような気分で、なんとか言葉を振り絞る。「リィザ……どういうことだよ…………」「聞いてスレン。じつは」 リズの言葉を遮るようにおっさんが手をかざす。「私が説明しよう」「……してみろよ」 俺はロークの死角、外套の下でゆっくりとナイフに手を回した。「私が彼女に頼んだんだ。きみが持っている盗んだもの、グリフィンの羽根を取り返してくれと」 ナイフが収まっているホルダーの留め具をはずす。「きみはその羽根がなにかわからないままついでに盗んだようだが、もうどんなものか察しはついているだろう」 柄を逆手でつかみ強く握る。「グリフィンはかつて生息していた魔力を持った生き物だ。獅子の胴体に怪鳥の翼と上半身をもった強力な魔法を使う怪物で、いまでは絶滅したとされている」 視線をはずさないように間合いを計る。「その羽根にはグリフィンの魔力が残留していて、それゆえ大きくはないが魔法を使える。歴代の王はそれを利用してきた」「違うんだよなぁー。俺が聞きたいのはそんなことじゃないんだ――よ!!」 腰を落としてやや前傾姿勢をとり、脚をバネのように伸縮させて強く踏み込み、床を蹴りつけた。 身体が浮くように感じた瞬間には、おっさんの屈強な身体が眼前に迫る。同時に抜いていたナイフを喉元めがけて振り上げた。 ガキン! と鈍い音が響く。 ロークは鞘から半分抜いた長剣でナイフを受けきっている。その目は宿で会った時と同じで俺ではない別のなにかを見ているようだった。 俺たちはお互いに譲らず、ナイフを持つ手が震える。「どうしてリズがあんたのいうことを聞いているのか、それは説明できねぇのかよ!」「私に脅されたとは考えないのか」 長剣でナイフを押し返されて距離を取らされる。 一度感情を爆発させたおかげか、少し冷静さを取り戻し、頭を働かせる。「ありえねぇよ。リズは納得したことしかやらないやつだ。だからリズが自分からあんたに協力するような理由が、なにかあるはずだ。それを説明してみろっていってんだよ、おっさん」 やはり戦意は感じ取れない。だが油断はしない。殺気を消すくらい簡単にできるやつだ。 ナイフを純手に持ち直して警戒を続ける。 ロークは抜ききった長剣を再び鞘に戻す。「…………いずれわかる」 イラつかせる天才かよ。「おいおい、寝ぼけてんじゃねぇよ。そのうちわかりますなんて話があるかよ。いますぐだ!」「スレン。落ち着いて聞きなさい」 我慢できなくなったのか、リズが前へ出た。「リズ。どうしてそっちにいるんだ。最初からそっち側だなんていわないよな」「そんなわけないでしょう。低層にいたころからずっとあなたといっしょだった。ここにきたことだってないわ」「だったらどうして」 リズは少しだけ言い淀む。「わたしも、はじめは信じられなかったのよ。でも聞いているうちに、ロークさんの話は間違いないって思った。この国のためだから、協力したの」「そうかよ……。リズもあのクズのために動こうってわけだ」「それはちがうわ。ロークさん、もう話してもいいでしょう。わたしが気づいた以上、隠す必要なんてないわ」「なんの話だよ」 リズはロークを見つめている。自然と俺の視線もロークに寄せられた。「……わかった、話そう」 諦めたのか、それともリズのしつこさに呆れたのか、ロークは語りだす。  ◆ ◆ ◆ ローク・ジークロンとリル・ジークロンの兄妹は高層地区に暮らしていた。 両親はすでにいなかったが豊富な財産を残していたため、二人はそのまま高層地区での生活を続けている。 二人は十も年が離れていたがとても仲睦まじく、とくに兄のロークは妹のリルをほんとうに可愛がっていた。 成人して十余年。兄であり、保護者でもあるロークは躍起になって金を稼いでいた。 妹が流行り病にかかってしまったのである。この国の医療技術は優れていたが、それに比例して治療費は天井知らずだった。 もともと体が弱いせいなのか、リルの病状はなかなかよくならない。だからといって治療をやめることなんてできない。 ロークは治療費を稼ぐためにどんなことでもやってみせた。 レストランの厨房で料理の腕をふるうこともあれば、バーテンダーとしてお客との小粋なトークもしてみせる。あるときは城壁の補修作業に汗を流し、近くの森に出没する害獣の討伐もやったころがある。 ある日、その節操のない仕事ぶりが王の耳に入ったらしく、ロークは城へと呼び出された。 王は聞いた。「なぜそのように生き急ぐのか」と。 ロークは妹がいること、そして病に臥していることを説明した。 それを聞いた王はしばし思案して、その妹に会わせろと言ってきた。 意図がわからないロークはためらった。しかし王の命とあれば簡単に断れることではない。不承不承引き受け、家へと案内した。 ロークの帰宅にベッドから体を起こし顔を明るくするリルだったが、その後ろにいる男たちの姿をみてすぐに表情が曇った。王とその側近の兵。王の顔は知っていてもほとんど関わりのないリルにとっては、不敵に笑みを浮かべる大柄の男はひたすらに恐怖だった。 王はリルを一目見て気に入ったらしく、最初こそうやうやしい挨拶をしてみせたが、次いででた言葉は求婚のそれに違わなかった。 ロークは慌てて間に割って入る。「そんなつもりでここに来たのならお引き取りください」ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込み、慎重に言葉を並べた。 ところが王に引く気はまったくないようで、こんどは条件をだしてきた。「私もとにくるのならより高度な治療を約束しよう。もちろん、無償でた。当然だろう、私のものとなるのだから」 気付けばロークは拳を握りしめ振り上げようとしていた。しかしそれをさせなかったのはリルの手だった。つかまれた手のやわらかい温もりに我を取り戻す。唇を噛みしめ、怒りを言葉とともに飲み込んだ。 ロークの血走るような眼を受けても、王は気に留める様子もなく、その態度は変わらず下等なそれを見るようだった。 ややあってリルが口を開いた。「一つお願いがあります。兄をお城で働かせてあげてください。それを聞いていただけるなら、わたくしは城へいきます。兄の近くに居たいのです」 淀みなくはっきりとした声。かすかに震えていたことに気づいたのはロークだけだった。 王はリルの申し出を承諾した。明朝迎えをやるとだけいって、王は側近を連れてでていった。 ロークはベッドに座りうつむいているリルに向き直ったが「わたしは大丈夫だから。兄さんのそばに居られるならどこだって平気よ」そう言われてしまい、返す言葉がみつからなかった。 それから数年が経ち、リルは双子を産んでいた。リルの病気は快復していなかったものの、生まれてきた子供はすこぶる元気だった。 男の子と女の子の兄妹は、城で育てられていたが、公に発表はされていない。その理由を、ロークは夜警のときに知るのだった。 王は他の女と逢い引きをしていた。人目を盗み愛人を招き入れていたのだ。 ロークはその事実を知りながら、どうすることもできなかった。どんなに無能な人間でも、王という肩書きは伊達ではない。その口一つでロークはもちろん、リルも国から追い出されることになりかねない。 そう思っていた矢先、リルが王の愛人に気付いてしまった。 リルは怒りこそしなかったものの、その態度は冷え切ったもので、城を出ていくといった。 しかし王が許すわけもなく、たちまち問題となる。 口論の末に王は、リルと子供を低層地区に幽閉することにした。低層地区には医療施設がない。そうなっては病気のリルはたちまち死んでしまう。ロークは王に抗議するとリルに言うが、彼女はうんと言わない。「どのみちわたしは長くはないわ。わたしよりも子供たちをお願い。父親もいない、母親もいなくなってしまう。そのうえ兄さんまでいなくなってしまっては、この子たちは誰を頼ればいいの。だから――」 低層地区に移されて数ヶ月後、リルは静かに眠りについた。 ロークは必要な経費をすべて請け負うことを条件に、幼い双子を低層地区のちいさな施設に預けた。 そうして、ひとりになったロークは、心に誓う。 あの王を許しはしない。 絶対に許してはいけない。 必ず、報いを受けさせる。 絶対に…………。 必ず…………。  ◆ ◆ ◆ 長い沈黙。「きみが王を目の敵にしている理由はわかっていた。どうやってそのことを知ったのかはわからないが。彼女も母親のことしか記憶にないようだったしな」「お母さんが病気で死んだのはうっすらと覚えてる。でもまさか父親があの王だなんて」「リズ。あれは、俺たちの、父親じゃない」 思考がまとまらないなかでも、リズが口走った言葉を本能的に否定した。「おっさん。母上が病気で死んだのはよく覚えてる。その点については信じることができる。でもあんたが母上の兄妹だっていうのは信じられない」「シロツメクサ」 おっさんは唐突に言い放った。俺は思わず聞き返す。「なんだって……?」「きみたちがいつも着ている揃いの外套の襟にある花弁の刺繍。シロツメクサの花だ。リルが好きだった花で、きみたちのために縫ったものだ」 この花弁の意味は俺もリズも知ってる。でも誰にも話しちゃいない。…………。「ほんとうに――母上の兄妹なのか?」「……そうだ。話すつもりはなかった。知らなくていいことだ」「でもわたしと話しているうちにうっかり口が滑っちゃったのよね。刺繍のことを知ってたみたいだから、質問攻めにしたら白状したの」「口が滑ったなんて、おっさんらしくないミスだな」 おっさんはわずかに顔をそらし視線をはずす。「自分でも不思議だが、どうやら彼女と話すのがよほどうれしかったようだ」「それで気が抜けてデレデレしちゃったわけか。まぁ気持ちはわかるさ、俺の自慢の妹だ」 リズは照れるようにもじもじしていたが、やがてハッとする。「ちょっとロークさん。だったらどうして途中から黙っちゃったのよ?」 ロークは気まずそうな面持ちで露骨に顔をそらした。「しゃべりすぎなんだよ、リズは」「なによぉー。にぎやかなほうがいいじゃん」 頬をふくらませるリズを無視して、あらためてロークに問いかける。「話をもどすぞ。その羽根を使って国をどうする気なんだ」「その認識は間違っている。いや、私の言葉が足りていないだけか。このグリフィンの羽根は使わない。使わせないというべきか」「まるでもう魔法にかかってるみたいな口ぶりだな」「その通りだ。グリフィンは強大な魔力もつ怪物といったが、恐れられていた一番の理由は催眠魔法を使うからだ」 それを聞いて背筋が凍る。「この国の民、といっても中層地区の範囲までだが、国民はこの羽根によって催眠魔法にかかっている」「まてよ。ってことは中層までの連中は全員がいいなりってことか?」「そこまでではない。気づいていると思うが、この羽根に残された魔力は少ない。それゆえ国民を完璧な催眠状態にするにはいたらない。だが、小さな種を植えることはできる」「種? 野菜でも栽培するのか?」 ロークの冷たい視線が俺に突き刺さる。「じょうだんだよ。怒るなって」 味方ができたと安心したせいか、緊張感が薄くなっているみたいだ。よくない傾向だな。「……種を植えてしまえば、必要なときだけいうことを聞かせることができる。いまの上層地区の民は王の命令に背かない、という催眠がかかっている」「それって、いいなりと何が違うんだ?」「この催眠は自我を失わないというのがポイントだ。完全に命令を聞く催眠ならそこに意思は発生しないが、これは自分で考えた結果だと錯覚する。つまり、無意識のうちに王の命令に背かない行動をとるようになるんだ。王に従っているわけではないと思っていても、結果的に王の思い通りになっている」 なんて都合のいい魔法だ。 いや、そもそも魔法は都合のいいものなんだ。それを利用するものがたとえ善であっても、都合のいい考えには必ず邪心がついてまわる。だから魔法は廃れて無くなったはずなんだ。この羽根がその最後の遺物。 そこまで考えて、ふとロークを見上げる。「なあ。俺たちが催眠にかかってないのはなんでだ?」 俺の疑問にリズがのっかる。「たしかにそうね。中層地区までだったら、わたしたちも催眠にかかっているはずだわ。いくら自覚がないっていっても、これまでの行動を考えたらかかっているとは思えない」「それなら理由がある。これがきみたちを守っているんだよ」 おっさんは隣に立つリズの襟元を指さした。「この花弁の刺繍? これがなんなの?」「その刺繍の糸は魔法生物の繊維で紡がれている。その魔力がきみたちを羽根の催眠魔法から守っているんだ」 俺たちは自分の襟に目を落とす。この刺繍が……?「まだリルが城できみたちを育てていたころ、外から行商人がやってきたことがあった。その行商人はめずらしい品物を売っていて、城にある銃はその行商人から買い付けたものだ。みたことのない技術で、強力な武器だと兵たちはとても興奮していたのを覚えている。その品物のなかにその糸があった。聞けば絶滅した魔法生物の繊維から紡いだ糸で、それなりの魔力も残っているといっていた。私はそれを密かに買い、リルに持たせた。その時はお守りになると思って渡したんだが、リルはそれを子供たちのために使った。自分がいなくなってもきみたちを守れるように」 ぐっと刺繍を握りしめる。リズはしゃがみこんで外套に顔をうずめている。小さく震える肩をみて、俺も目に熱いものを感じた。それを誤魔化すようにロークに問いかける。「行商人って、もしかして、むかしは俺も戦士だったって自慢してるやつだったか?」「あぁ……そんなことをいっていたな。膝に矢を受けてしまってからは行商に転向したともいっていた」「やっぱり、俺が閃光弾を買い付けた商人と同じやつだ。そのときも小型の銃がいくつかあったからもしやと思ったんだ。そいつに聞いても、誰に何を売ったかは教えられないとかでわからずじまいだったけど」「またこの国に来ていたとは知らなかった。それに城に顔を出さないとは不思議だ。まるできみのためにやって来たと言わんばかりだな」「っておいおい、また話がそれてるぞ。いや、俺のせいなのはわかってる」 お互いにしばし間を置き、無言の時間が流れる。 何かがおかしかったのか、ロークの口元が緩んだのを見逃さなかった。「羽根をどうするかだったな。グリフィンの羽根は王が使って民に催眠をかけている。そのゆえに誰もそれを持ち出すことができなかった。私を含めてな。だが例外だったきみが盗みだした。そのせいなのか一時的に催眠はとかれている。このチャンスを逃すことはできない」「……なんのチャンスだよ」 聞くべきか迷ったけど、ここまできて逃げることはできない。「王を討つ」 おっさんは静かに、しかし力強く言い放った。 予想していた答えのはずなのに、じっさいに言葉にされるとひどく動揺している俺がいた。 王を許すことはできない。そう考えてずっと生きてきた。 母上のことだけじゃない。この国の惨状を変えるためには、あれが王ではないけない。俺が成り替わろうとは思っていないけど、とにかく、あれが王では何も変わらない。 だけど、そのために、殺すのか? 人を……。人間を……。「きみがそんなに深刻に考えることはない」 ふいに耳に入る穏やかな声。俺は顔をあげる。「王を討つのは私の役目だ。これから起こることはきみたちの関知することではない。家に帰って眠りについて、目が覚めればすべてが変わっている。それだけだ」「……っざけんなよ! あんただけの問題じゃねぇんだぞ! これは俺の心の問題なんだ。あいつを許さない。ぜったいに償わせてやる。その思いだけで生きてきたんだ! それを横からでてきたあんたにぜんぶ持っていかれて、納得できるわけないだろ!」「これは私の贖罪だ。あのとき私はリルのために何もできなかった。それをいまここで贖う」 揺れない瞳がじっと俺を見据えた。「ちくしょうが。最後まであんたとはわかりあえないみたいだな」 逃げるような思いで視線をそらす。 すると、おっさんがゆるやかな歩みで近づいてくる。そして俺の頭に手をのせた。手袋の硬い感触が頭をなでる。「きみはこれからも彼女を守っていくんだろう? ならその手を汚してはいけない。汚れるのは私のように失うものがない人間だけで十分だ」 おっさんはリズに視線をむけ、また俺を見る。「いま私以外の兵は隣国との戦闘演習に出ている。城には王の側近が数名いるだけだ。側近は銃をもっているだろうが、王と差し違えることぐらいならできる」 そう言って、ロークは俺たちから後ずさるように離れる。名残を惜しむようにもみえたが、すぐに背を向けて歩き出した。その背中を黙って見送ることしかできない。たまらずリズに声をかける。「リズ。おっさん行っちまうぞ」「……どうしろっていうの」 しゃがんだまますっかりおとなしくなったリズは、赤く腫れた目でこっちをみた。「おまえはおっさんと打ち解けてたろ。このまま行かせていいのかよ。死ぬ気だぞ、あいつ」「わかんないよ……。わたしには知らないことがおおすぎて、ぜんぜんわかんないよ……」 ふさぎ込むように身体をちいさく丸める。「おにいちゃんが決めて……」 そう呼ばれたのはひさしぶりだった。最後に聞いたのは施設を出るときだったっけ。これからは二人で生きていくと決めて、自立の第一歩にお互いを名前で呼ぶと決めた。 そう、俺はリズを守らなきゃいけない。 だから…………。 ロークが王のいる広間に入ると、銃を持った側近の三人が王の脇を固める。「どうした? 盗っ人のガキは捕らえたのか?」 ロークは機敏な歩調で王の前までくると、片膝をつき頭を下げた。「いえ、少年は人質を連れて逃走。逃げられました」「なんだと!? 貴様はなにをしている! 羽根がなければ貴様の首にようはないぞ!」「ご安心を。少年らは逃げましたが、羽根ここにあります」 ロークはふところから、淀んだ色のグリフィンの羽根を取り出してみせる。「おお! なんだ驚かすな。よいよい、これで貴様の首はつながったままだ」「そうはいきません。この首は差し出そうと思いここへ参ったのです」「そんなに気負うな。おまえは有能な男だ。羽根が戻ったならガキを取り逃がしたことは見逃してやるとも」 ロークはおもむろに立ち上がると、羽根を持っていない右手で鞘に収まる長剣を握る。側近は慌てたように銃を構えて、ロークに狙いをつけた。「そうおっしゃらずどうかこの首をお受け取りください。ですが、かわりに――」 ゆっくりと、しかし無駄のない動きで長剣を抜く。「あなたの首をもらう」 ロークが構えに入る。 側近は引き金に指をかける。 王が逃げようとたじろぐ。 それとタイミングを同じくして、広間の扉が勢いよく開け放たれた。 緊張が走るなか、それぞれの意識がほんの一瞬奪われる。 その隙間に縫い込むように一筋の影が踏み込んできた。 4……。 ロークは母上との約束を守るためにずっと耐えてきていた。敵といえるあのくそったれの王に頭を下げてきた。どれだけの覚悟が必要だったろうか。 3……。 家族もいない。たった独りで過ごしてきた。誰にも認められず、報われない。それをずっと、独りで。 2……。 そんなやつをこのまま死なせてやるかよ。あんたにはちゃんと、帰りを待ってる家族がいるってことを教えてやる。 1……。 だから―――― 扉に勢いよく体当たりしてぶち破る。 衝撃が身体を突き抜けるがスピードを落とすことなく駆ける。そしてピンを抜いておいた閃光弾を前方に投げつけた。「おっさん!!」 叫ぶのが早いか、ほぼ同時に閃光弾はきらめいた。 声が間に合ったかはわからない。ロークが伏せるようにしゃがもうとした動作までは目に入ったが、俺の左目もすぐに視界を失う。 数秒。閃光がおさまったのを感じゴーグルをずり下げ、右目を開ける。ゴーグルの右目部分には黒い布を詰めていたおかげで、右目は閃光からのがれて無事だった。 片目で側近の位置をとらえて旋風のごとく駆ける。おっさんの脇を走って右側の二人へ飛び込み、銃身を蹴りあげ、続けて顎へむかって掌底を打ち込んだ。 反対側の残った一人には、腕と脚にむけて手投げナイフを飛ばす。片目では距離感がうまくつかめず脚にはあたらなかった。しかし腕には命中して、側近の男は律儀に構え続けていた銃から手を離した。 全員の視力が戻るころには、王の喉元にナイフを突きつけていた。「動くなよ。口も開くな、無駄口はききたくない」 王は頷くだけで返事をする。その王と対峙していたロークは俺の姿に眉をひそめた。「なにをしている」 ロークの声には怒気が含まれていたが、いまさらそんなことでは怯まない。「おっさん。あんたには失うものがないっていったけど、それは違う! あんたにはリィザがいる。あいつはおっさんのことを家族だって思えたんだ。だから協力した。それに」 気恥ずかしさに言葉がでなくなるところを、なんとか振り絞る。「俺だっておっさんに死なれるのは困る! 俺はまだ子供だ。リィザを守ることで精一杯で、正直なところ自分の世話をしてる余裕なんかない。だからおっさんには俺の面倒をみてもらわないと困るし、おっさんにはそれをする義務がある。そうだろ? 俺たちは家族なんだから」「馬鹿なことを。このままでは二人とも死ぬだけだ」「それは違う。俺は死なない。おっさんも死なせない」 俺は左手に持った羽根をみせつける。 それを見て、ロークは自分の手から羽根がなくなっていることに気付いた。「さっきの閃光のときか……」「これを使ってこいつにいうことを聞かせる」 ナイフを突きつけられている王から安堵の空気が漂った。殺されはしないと思っているのだろう。「無駄だ。その羽根にはもうそんな魔力は残っていない。意志を覆すようなことにはならない。だからその男は絶命させるしかないんだ」 ロークは鋭い眼光で王を睨みつけた。安堵していたのもつかの間、王はまたすぐに身を縮こまらせる。「そうはいかない。おっさんに人殺しなんかさせない。汚れた手じゃ俺たちを守れないだろ」「ではどうする? その羽根では」「方法はある」 俺は羽根を持った手でポケットを探り、二枚の布切れをつかんで取り出す。それには花弁を模した刺繍がしてあった。「この刺繍は魔法生物の繊維で紡がれた糸で縫われてる。しかもグリフィンの羽根の魔法を防ぐほどの魔力を残してる。ならこの羽根と二枚の刺繍の魔力を合わせれば、一度くらいなら通常の魔法がつかえるはずだ」「刺繍を切り取ったのか……? どうしてそんなことを……。それはおまえたちの母親が残した――」「家族のためだからだろうが!」 堰を切ったようにローウの言葉を遮った。「……私のためだというのか。こんな私のために」 ロークは小さくうなだれると、長剣を鞘に納めた。そして顔をあげると、その表情は心なしか晴れ晴れとしてるようにみえた。「わかった。きみにまかせよう」「おう。まかせな」 俺は頷き言葉を交わすと、となりで震えている男に身体を向ける。「あんたはぜったいに許さない。母上にした仕打ちのことはどんなことをしてでも償ってもらう」「ふ、ふん。この俺様がいうことを聞くと、お、思っているのか?」「この状態で強がりをいえるなんて、その胆力は認めるてやるよ。でもな、そのほうが都合がいい」「ど、どういうことだ」「なぁにすぐにわかるさ。いや、わからなくなるのか」 刺繍と羽根を握った左手を胸の前に掲げる。 刺繍に気持ちを、羽根に想いを籠める。 やがて握った手から鮮やかな光がわずかにあふれ出す。それは瞬く間に広間を満たして、はじけた。  ◆ ◆ ◆ その後の話。 俺がかけた魔法が効果を発揮して、王の態度はすっかり変わりました。 地区を分け隔てていた門は開放されて自由に行き来ができるようになり、各階層の貧富の差も少しずつにですが改善されてきています。 とくに低層地区の管理は王が率先して指揮をとっていて、俺たちがいた施設もずいぶんとよくなりました。 中層地区は門の開放によって新たにできた交易の中心となって、見違えるような活気に満ちています。 ザハさんの宿も繁盛していて「帰る場所があるやつに貸す部屋はない」なんていってくれやがって、とうとう追い出されました。 リズはリズで、世話になっていた老夫婦の家を出る支度をしていて、きょうにでもロークのところへいくと言っています。そう、母上の暮らしていた家へ。 俺は近くで別の宿でも探そうと思っていたのですが、リズに「おにいちゃんもいっしょに帰るのよ。そういってたでしょ」と言われてしまい、しぶしぶ付いていくことにしました。 母上の家がイヤだということはないのですが、いまさらおっさん、いえロークといっしょに暮らすというのもなんだか気まずいというか、びみょうな雰囲気なんです。 でもまぁ、いい機会なのでロークには戦いの訓練をつけてもらうつもりです。そしていつか打ち負かしてみせます。やられっぱなしは性に合わないんです。 最後になりますが、ひとつ謝ることがあります。 大切な外套から刺繍を切り取ってしまいました。あとからなんとか縫い付けたので、あまり叱らないでほしいです。 それでは、また手紙をだします。「スレン……ジークロン……より……っと」「おにいちゃん?」 背後からのふいな声に身体がビクついた。振り向くとリズが机を覗き込んでいる。「っ……。リィザ、驚かすなよ」「声はかけたよ? 伯父さんが呼んでる。きょうはお城で兵士さんに混ざって訓練する日でしょ」「わかってる。ちょっと時間がかかっただけ」「お母さんに手紙書いてたんだ」「ここんとこ暇がなかったっからな。……リィザも何かいうことはないのか?」 リィザは思案顔になるもすぐに首を横にふった。「わたしはお母さんのことほとんど覚えてないから、いいの。おにいちゃんの言葉だけでも、お母さんには伝わると思う」「そっか」 手紙をしまって立ち上がり、こわばった身体をほぐす。「ところでさ、なんでまた呼び方がもどってるんだよ。名前で呼ぶはずだろ?」「だってもう頑張って一人前でいる必要がないもの。わたしには伯父さんもいるし、おにいちゃんだっている。それにおにいちゃんだって、わたしのこと昔のあだ名で呼んでるじゃない」「それは……。あれだよ、ついだよ、つい。思わずでちまったんだ」「ふぅん。ねぇ、おにいちゃんだって、ほんとうは伯父さんとこの家で暮らすのが嬉しいんでしょ? それで気が緩んでるのよ」「んなことねぇよ。誰が好き好んで髭面のおっさんと暮らしたいんだっての」「家族ならそう思うんじゃない?」 勝ち誇ったようににやつくリズが俺を覗き込む。 むしょーに腹がったから、頭に手をのせてぐしゃぐしゃと髪を撫でまわしてやった。「ちょっとぉ! なにするのよ」「ばかなこといってるからだ。ったく、そんじゃ行ってくる」「もー……。いってらっしゃい」 外で待っていたロークが俺の姿に気付いて顔を向ける。その視線は俺の手元をみている気がした。「それは……手紙か?」「そうだよ。母上へのな」 ロークはかすかに驚いた顔をみせる。「おっさんもいいたいことがあるなら、ついでに書いといてやるよ」「その必要はない。いまさら私がかける言葉などない」「まぁーたそういうことをいう。リィザに怒られるぞ?」「それは困るな」 笑みを浮かべるその表情に以前のような硬さはなく、ごく自然な心からの笑いだと思った。 口では変わらないことを言っているけど、きっとロークは自分を赦せたんだろう。 俺も変わらないといけないよな……。「スレン。いまさらだが、聞きたいことがあるんだが」「ん? なんだよあらたまって」「王にかけた魔法とはなんだったんだ? 刺繍の魔力で補助したとはいえ複雑なことはできなかったはずだ。せいぜいひとつの魔法だと思うが、いったいなにをしたんだ?」 そういえばリズには話したけど、ロークには教えていなかったっけ。「かんたんなことだよ。俺はあの男の心の優先度を逆にしただけだ」「心を、逆に……?」「自分のことしか考えないわがままな王は、他人につくす誠実な王になった。それだけだよ」「なるほど……。それで人が変わったように民への奉仕をしているということか」「正直、成功するかは半々だった。自己中心的な考えが一番じゃなかったら、優先度を逆にしただけじゃうまくはいかなかったと思うからな。まぁいままでの所業をみれば十分に勝算のある賭けだったけどね」「やはり、スレンにまかせて正解だったみたいだな。あの時、私が王を亡き者にしたところで、新たな支配者が誠実な者とは限らなかった。この国は変わらなかったかもしれない」「だからいったろ、まかせろって」「そうだったな」 お互いに澄ましたように笑いあう。 リズの言った通りかもな。ロークとの生活はおもったより悪いものじゃないと思う。きっと父親というのは、彼のような人間のことをいうのかもしれない。 だからといってロークを父親と呼ぶ気にはならないし、彼もそれは望んでいないだろう。 それならば、俺がロークに――家族にかける言葉はこれしかない。「手紙は帰りに持っていくよ。待たせちゃ申し訳ないから急ごうぜ、伯父さん」

ナナコと。

 ナナコに会ったのは私がまだ小さかった頃。 海で溺れていた私を、彼女が助けてくれたのが始まりだった。 目を覚ました私の目に入ったのは、捨て犬でも見るような顔をした女の子だった。 私はありがとうとお礼を言ったけど、向こうはキョトンとしている。 そして彼女は私が同い年だと知ると、笑って手を差し出し「友達になろう!」と言った。どうやら彼女の周りは大人ばかりで、私のような同年代の子供がいないらしい。 助けてもらったのもあるけど、クラスの友達とはどこか違った雰囲気の彼女に、私は心を惹かれていた。 そうして私はナナコと友達になり、海に来ると決まって彼女と遊んでいた。何度か家に遊びに来ないかと誘ってみたけど、彼女は決して海から出ようとしなかった。 それならと、私はナナコのお家に行ってみたいと提案する。すると彼女は「ごめんね、それはできないの。ボクにとっては海が家みたいなものなんだ」と言った。その時の彼女の表情は今でもよく覚えている。辛そうに誇るあの悲しい瞳が胸に焼きついていた。 ある時、両親にナナコのことを話そうとして、つい溺れたことまで口にしてしまう。それがまずかった。 両親はひどく怒り、とても心配そうだった。それがきっかけで、しばらくは海に行かせてもらえなくなった。 ナナコは何も知らない。明日もその次も、私が海に来るのを待っているかもしれない。そう思っても、私は部屋から海を望むしかできなかった。 ナナコと合わなくなって数ヶ月。かねてから決まっていた引っ越しが翌日に迫った。 クラスのみんなとの別れは済んだ。でもただ一人、ナナコには別れを言っていない。それだけが心残りだった。 私は両親が留守の隙を狙い、ナナコへ会いに行こうと家を飛び出した。 季節外れの海は淀みくすんだ色をしていた。この海のどこかにナナコがいると信じて、私は浜辺を駆け、岩肌を探した。 あれから一度も来てない。 約束もしてない。 私のことなんて忘れてるかもしれない。 それでも私は彼女を探した。 どうしても会いたい。 たった一言でもいい、言いたいことがあるんだ。 どれほど時間が経っただろう。ナナコの姿はどこにも見当たらない。青空はすっかり夕焼けに染まり、その茜色さえ消えかかっていた。 疲れて座り俯くと涙があふれてきた。諦めたくない。私は顔を拭い、どうすればいいか必死に考える。 そして気がついたんだ。まだ探してない場所があることに。 私はスニーカーを脱いで立ち上がり、水平線に向かって歩く。 指先が砂に埋もれ、足先が冷たくなり、だんだんと脚が重たくなっていく。ずぶずぶと沈んでいくように暗闇へと潜り込む。 やがて完全に暗闇に飲まれて、意識が混濁していく。すると、冷え切った手に触れる暖かい感触があった。それは私の手を握りしめ、光へと引っ張っていった。 私は足のつくところまで引っ張られて、やっと息をすることができた。ゲホゲホしながら息を整えて、また私を助けてくれた女の子を見すえる。 彼女は泣いていた。どうして泣いているのか聞くと、私が死んでしまうかと思ったらしい。私は心配させてごめんねと謝るけど、ナナコが助けてくれるから死なないよ、と付け足した。すると彼女は「バカぁー!!」と泣き続けた。 ナナコが落ち着いてから、ここからいなくなることを話した。久しぶりに会えたのにまたすぐお別れになってしまう。また泣いてしまうかと思ったけど、彼女は微笑んだ。 不思議がる私にナナコは「大丈夫、きっとまた会いに行くから。待ってて」そう言った。 その言葉に私は驚いたけど、彼女の笑顔は嘘じゃないと思えた。だから私は待ってると、返事をした。 そうして私達は別れを告げた。海へと還るナナコの姿を記憶に焼付け、私も自分の居るべき場所へと帰っていった。 あれから幾分大人になった私はまたこの街に来た。この街の学校に通うことになり、一人暮らしを始める。いや、ここで暮らしたくてこの街の学校を選んだのが本音だ。 思い出の場所がある、この海辺の街に住みたかったんだ。「この砂浜も懐かしいなぁ」 あの頃と変わらない景色。いつまでも眺めていたいほどに、愛おしい場所だ。 ひさしぶりの海の香りをいっぱいに吸い込むと、帰ってきたという気持ちがいっそう強まる。「さてと、それじゃあ探しにいこうかな」 身体を伸ばし、古い友だちを探しに行こうした時だった。「誰かお探しですか?」 不意に聞こえた声に、私は後ろを振り返る。 そこには女性が立っていた。淡い水色のワンピースがよく似合い、腰ほどまである長い髪が風になびいていた。 私は笑みが溢れるのを我慢して答えた。「友達を探してるんですよ。会いに行くって言ってたくせにちっとも来なくて、私から来てやったんです」「それは困ったお友達ですね」「えぇ、ほんとうに」「でもそのお友達も頑張っていたんだと思いますよ。あなたに会いたくて、すごく苦労したんじゃないでしょうか」「そうかなぁ? じゃあ今まで何してたのか説明してほしいなー」「んー、海歩が溺れない方法を考えてたかな」「またそんな事言って……」「もう、怒るか泣くかどっちかにしてよ。ほらこっちおいで!」 彼女は涙を拭う私を抱き寄せる。「背伸びたね」「海歩が縮んだんじゃないの」「なによー」「あのね。海歩にね、言いたいことがあるんだ」「うん?」「ただいま、海歩」 改まって言われびっくりしたけど、私も言いたいことがある。「おかえり、魚々子」「そういえば魚々子、足あるね」「あるよ」「ヒレは?」「……ないしょ♪」